#29 フィアレスガール
 高速道路の白線の上を10メートルほど歩けるか……と問われたら、貴方はどう答えるだろうか。高速道路は片側三車線。貴方の進行方向は車の進む方向と真逆。平均台よろしくよちよち歩く貴方の両脇を、時速100キロの鉄の塊がとめどなく走り抜けていく。
 一応断っておくが、これは引っ掛け問題でもなければ、とんちを試す問題でもない。高速道路は渋滞していないし、まだ完成していないので封鎖されていると言うわけでもない。既に使われている高速道路で、単にその可否を問うているだけの話である。
 その質問に対し、多くの人は出来ないと答えるだろう。理由は様々なものが上げられるだろうが、その大半は恐怖からだと言える。中には恐怖以外の理由を上げるものもいるかもしれないが、病や障害、身体の欠損を除いて、他の言い訳全てが恐怖に起因することに気付かずにそうしているだけである。
 だが実際にその質問の行為は人間にとって可能かと言えば、私は可能だと答える。私自身が試してみたと言うわけではないのだが、人間には個体差があり、中には普通の人よりも数倍(あるいは数十倍)恐怖に対する耐性が強い個体がいてもおかしくは無い。屈強な精神を持つ一個体においては自分の両脇を通り過ぎる車など、やかましいオーディエンスの一つに過ぎず、自分は何も考えずにただ幅数センチの白線の上を歩いていればよいのである。
 また、その行為をすることによって、何らかの褒賞を得られる場合にも、人は恐怖を克服することが出来るときがある。人の精神は何か目標を与えることによって、驚くべき変化を見せるものなのである。
 話を元に戻そう。最初にあげた問いであるが、それをいとも簡単にこなせる人間がいることを私は知っている。それどころか、銃弾飛び交う紛争地帯で「Shoot me!」と書かれたシャツを着て歩いたり、身体中に火のついたダイナマイトを巻きつけて、軍事施設に特攻することさえ可能である。それも、恐怖を感じることなくだ。
 私が上記に上げた、一見狂ってるようにしか見えない行為を正常な精神で行うことは不可能に近い。上の二つは高速道路の例えとは根本的に危険度が違うのだ。高速道路をA、紛争地帯をB、ダイナマイトをCとすると、Aは確かに危険ではあるが車は車間距離をとって走るし、何よりぶつかろうとも思っていない。また人間が吹き飛ばされるような殺人的な横風が吹くこともまず無いので、よほどのことが無い限り、死ぬことは無い。
 Bは普通、即射殺されると思うが、たまたま休戦の日だったり、ユーモアの分かる兵隊が相手であれば、生き残ることが出来るかもしれない。
 だがCはどうだろうか。Bですら十分絶望的な状況であるが、Cの場合、実行者の死は確定的である。たとえ、AとBの両方をクリアした猛者がいたとしても、Cに挑戦することは無いだろう。なぜなら、どれほど魅力的な報酬があろうとも、自分の死に釣り合うだけの物など何一つ存在しないからだ。恐怖の割合が自分の生の危険度に比例するとするならば、A=1%、B=90%、C=100%といったところだろう。
 だが、Cを可能にする人間もいる。彼らにとってはAもBもCも同じことなのだ。人間、いや全ての生きとし生ける者にとって最大級の恐怖である死さえも、恐れることは無い。なぜなら、彼らには恐怖と言う概念そのものが存在しないからである。どんなことも、文字通り命がけの使命であっても、逃げ出すことなく実行するのだ。
 彼らが自然発生することはほとんど無い。なのに、存在を知っているのは、実在した多くの”試験体”が軍によって”作られた”被害者であるからに他ならない。彼らは脳の中の恐怖を感じる部分を意図的に停止させられ、恐怖という人間なら誰しも備わっている原始的な感情を消されてしまった。
 ゆえに彼らは恐怖を感じることが無い。死と一番近い戦場においてこれほど有効に働く兵士はいないと当時考えられており、彼らは”フィアレス”と呼ばれ、軍部関係者に重宝されていたのだが……。
著者不明 『第五の季節』 三章” フィアレスの誕生と失敗” 
*
 昔、何かに追いかけ回される夢を見たことがある。俺は一人で知らない土地にいて、一心不乱に走っていた。
 辺りは薄暗く、昼なのか夜なのかもはっきり判別できなかったが、俺は息を切らし、足をもつれさせながらもその何かから必死に逃げていた。
 あの時、俺は一体何者から追われ、どうして逃げ回っていたのだろう。夢から覚めた最初の感想がそれだった。何か凶暴な動物に襲われていたのか、それとも俺自身が何か悪いことをしてしまい、追われていたのか。
 そのことがどうしても思い出せない。ただ、夢の中の話だと言うのに一つだけ鮮明に覚えていたのは、純粋なる恐怖。あの時後ろから追いかけてきていたのは……。

 向かってくる旧都にある有名な寺、あるいはシャチホコに似たそれを遠くに見据えながら、もう一度だけ思い返してみる。あの時、俺のことを追いかけてきていたのは、もしかするとこの目の前にいる戦車だったのかもしれないと思ったからだ。あの四輪駆動から来るパワー。流線型のボディーが生み出すスピード。全身を覆う鎧のような刃ときたら!
「いや、全然違うな」
 全く違った。恐怖の質そのものが違う。モーター音が近づいてくるのを感じながら、呟く。
 ”銀”に代わり”金”と呼ばれた新たなメカは、多少見た目は大きく、物騒なことを除けば、ただのミ○四駆にしか見えない。
 俺は入ってきた門を背にじりじりと後退する。無論、速度は金ピカのミニ四駆の方が早い。だが、端から逃げようと思って移動してるわけではない。
 “銀”と”金”には見た目の色以外にも分かりやすい違いがあった。走るときの音で分かったのだが、”金”はスピードを上げるために、キャタピラではなく普通のタイヤで走っていること。また、両翼、前方に無数の刃がついている代わりに、”銀”のときに苦戦した針を打つ装置が見当たらないことだ。
 だが、基本的な構造と大きな一つ目のような視覚装置は同じなので、”銀”を遠距離型の自動砲台するならば、目前に迫る”金”は近距離型のファイターなんだろうと推測できる。
 俺は直進してくる金色の戦車に激突し、串刺しになる寸でのところで跳躍。そのまま、何故か刃が一つも無い頂上部に片手をついて、勢いを殺さぬよう小さく身体を丸める。俺が一回転して地面に着地する間際、背中の方から何か物凄い音がするのを感じた。
 振り返ってみてみると、想像したとおりの悲惨な状態になっていた。指物鋼鉄の門がへこむほど激しくぶつかったらしく、ダーツの矢の如く金色のボディが鋼鉄に突き刺さっている。俺は銀色の方と一緒にコントロール不能な領域に飛んで行ってくれればいいな程度に思っていたのだが、なまじ反応が良かった事で、こんな大事故が起こってしまったらしい。
「まぁ、無人だからな」
 誰かが死んだわけでもないし、気に病むことなく、ポケットの携帯を取り出し、敵の反応を待つ。電話は切れていなかったが、向こうは何も言って来ない。自慢のメカが瞬殺されたことで頭に来ているのだろうか。
「おい、”金”が自爆したぞ」
「ばーか。あの程度であの子が壊れるわけ無いでしょ?」
「なに?」
 聞き返すも電話の相手はそれ以上何も言わず、笑っているだけだ。そして、笑い声に混じって聞こえて来る金属の唸り声。完全に死んだと思ったシャチホコメカは、弥生の言う通り眠っていただけだった。
「呆れた丈夫さだな。何で出来てるんだよ」
 ○ンダニウム合金よと誰かが囁いた気がしたが、無視する。こんなやつを相手にしていたら、いつまでたっても勝負がつかない。銀はあまりスピードが無かったから、何とかなったが、こいつはそうもいかないだろう。こうなったならば、手は一つしかない。
 少しずつ金属の壁から抜け出し、元の動きを取り戻そうとする”金”を尻目に、そのまま背を向けて研究所の入り口まで一直線に駆け出す。敵前逃亡というよりは戦略的撤退。俺の目的はあくまでもあすかの救出なんだから、門の鍵が開いた時点でこいつらと戦う意味など無いのだ。
 がこっという音と、それに続けてわずかに聞こえて来るモーター音。確認はしていないが、十中八九、壁から脱出し、走る俺を追って来ている。背中越しにも段々と距離が縮まっているのが分かった。
 あと少しで手が届く……が、モンスターマシンは直ぐ背後まで迫ってきている感覚があった。多分、今のままだと研究所の扉に手をやった頃には物言わぬ死体になっていることだろう。
 俺は交互に出していた足を徐々に遅らせ、最後にはその場に立ち止まる。”金”のデスロードの上。走りつかれ、諦めたようにも見えるたたずまい。背後から迫る金の戦車は唸りを上げ、更に加速する。ああ、なんて単純でやりやすい相手なんだろう。さっきのでタイミングは覚えた。今度はもっとうまくやれるはずだ。
「3,2,1……っ」
 自分でつかんだタイミングを目測でカウント。ちょうどゼロにあたる部分……車体の鋭角部分が俺を蹴散らす寸前に俺は背面跳びの要領で跳躍し、空中で一回転。そのまま俺を轢き殺そうとした殺人マシーンの背に着地して、振り落とされないようにセンサーアイのところに指を掛ける。
 その結果、突如目標を見失った”金”はさっきと同様、急激に減速、ターンしようとするのはさっきの行動で分かっている。そんなことをされれば、俺はなす術もなく振り落とされ、今度こそタイヤやら刃物に蹂躙されるだろう。
 だから、俺は先手を打った。慣性で吹っ飛ばされる前にわざとセンサーアイの前に顔を出したのだ。一瞬だけブレーキ音。直後に行われる急加速に身体が小さく揺さぶられる。片手のナイフを落っことしそうになったが、何とか持ちこたえられた。絶好のタイミングで”金”の視覚をコントロールすることに成功し、作戦を続行する。
 俺の目的はあすかの救出。だが、走っている途中で研究所の扉にもロックがあるのではないかという疑問が浮かんできた。一見、ガラス張りで簡単に入れそうなのだが、強化ガラスの可能性もある。さすがにまた気前良くロックを解除されたとしても、こちらの気分が悪い。
 だから、自分の力を信用できないのなら、逆に相手の馬鹿力を利用してやることにした。だが、さっきのように直前で回避しては誤差が生まれ、上手く扉を破壊できないかもしれない。ならば……ぶつかるギリギリまで俺がマニュアルで操作すれば良いという考えだ。
 目標の扉は直ぐそこにある。タイミングをつかみ損ねないように何度もガラス扉とセンサーアイの間を顔だけで往復する。その度に”金”はいちいちブレーキを踏み、何度か身体の芯がブレそうになったがまだ落ちるわけには行かない。
 ガラス扉を見る度に鏡面に映る俺たちの姿は大きくなり、圧倒的な速さで本物のサイズに近づいていく。次第に俺の行動、わずかな毛髪の動きまではっきり映るようになって来た。風で微かに震える感じや、ガラスの厚みが見えてきて、ほぼ等身大の俺たちが映る直前、俺はセンサーアイから手を離し、加速から来る向かい風と脚力を調整し、”金”の背中から飛び降りる。
 轟く衝突音。ガラスが砕けるのは一瞬だった。音の洪水が頭の中を支配し、その後地面に叩きつけられ、無様に転がる。掃除されていなかった、湿気を含んだ落ち葉がクッションとなっていたおかげでそこまで痛くは無かったが、これがアスファルトの上や、もし少しでも判断が遅れてガラスの海の上を転がっていたとしたら、それこそただではすまなかっただろう。
 “金”がブレーキを踏んだのかどうかは分からなかったが、俺が飛び降りた後も”金”は直進し続け、真っ直ぐ研究所の中に入って行ってしまった。どちらにせよ俺としては問題ないので、全身に突いた落ち葉や何かを払い、ポケットの中の携帯電話を取り出す。俺が何か言ってやろうとして電話を耳にやったのだが、それよりも先に弥生の方から返事が来た。
「コングラッチュレーション、聖! すごい、すごい! 金と銀の両方を生身で退けるなんて。さすが私の見込んだ男だわ。まぁ、扉のことはまたみんなに怒られちゃうと思うけど、しかたな」
 電源ボタンを押し、会話を強制終了する。なにがすごい、すごいだ。こっちは死ぬ思いでやってるというのに。
 俺は楽弥の番号を選び、再びコールする。圏外でなければ良いのだが……最初のコール音が鳴り終わる前にプッシュ音がして、電話が繋がった。
「もしもし、楽弥か!?」
「残念、あたしでしたー。大事な話が合ったのに切るなんて、酷いわ」
 なぜか弥生に繋がっている。ここいらの電波全て弥生の手中にあるように、コントロールされているようだ。
「今から力尽くであすかを取り戻しにいく。黙って待っていろ」
 電話をかけながら、”金”が破壊したガラスの破片を広い、見てみる。どうやら飛び散らないようにするフィルムこそついていたが、普通のガラスだったようだ。結果的にあの機械が居なくなったので良かったが。
 ガラス戸の隣にはカードを通す機械があり、鍵が掛かっているのは見て分かる。”金”の開けた穴は十分な大きさで、しゃがめばすんなり入れそうだった。
「ねぇ、大事な話、聞かなくていいの? 後悔するよ?」
 ずっと無視し続けていた弥生がすねた口調でしつこく繰り返す。こいつの話を信じることはない。いや、信じてはいけない。
「あすかちゃんの居場所、知りたくない?」
 言葉の端に意地の悪い微笑が聞こえて来る。どうしても聞くように仕向けているようだ。喉から手が出るほど欲しい情報。楽弥からなら無言で受け取ることが出来るのに、こいつからではそれが出来ない。何より、信憑性に欠けている。
「素直じゃないのね。まぁ、良いわ。生体実験室。奥の広いホールだから、直ぐ分かると思う。鍵は開けとくから、気をつけて来てね」
 結局、弥生は自ら喋り、一方的に電話を切った。携帯の電波表示が三本からいきなり圏外に変わる。
 生体実験室。確か楽弥のモバイルでもチェックされていた場所だ。信じるつもりはないが、他に情報もない。俺は罠を承知で踏み込むことを決意し、割れたガラスの隙間から敵の本拠地へと乗り込んだ。

 
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