#27 グレイスレスガール
 楽弥が去ってすぐに俺は携帯を開き、電話帳を開いた。少しでも楽弥の助けになる情報、運が良ければ協力を得られるかもしれない。数件しかないリストに目を通し、あまりにも少ない俺のコネクションに軽く失望する。
 両手の指に収まりきるほどの人物名のうち、三人は行方不明。三人は学生。もう一人はロクに連絡も取ってない他校の生徒だった。一人だけわずかな望みを持って異様に名前の長い人物、水無月麗音覇瑠斗三世に電話をかける。
 鳴り響くコール音は途切れることなく続き、しばらくして留守電に切り替わった。用件だけメッセージに残しておこうかと考えているうちに、電子音声がブツっという音と共に途切れる。
「もしもし……どちら様ですか?」
 明らかに寝起きと思われる声。数か月振りに聞いたレオの声だった。
「霜月だ。聞きたいことがあって電話したんだが」
「霜月聖! 何の用だ。まさか寝込みを襲うつもりか!」
 突然上げられた大声に携帯から耳を離し、落ち着けと伝える。いつ俺が誰の寝込みを襲ったというのだ。俺は落ち着いたのを見計らって事情を話し、既にさっき楽弥が言っていた研究施設の名前を出す。俺自身、今まで聞いたことの無かった単語ではあったが、それを口にした途端にレオの声色が変わる。
「それって母様の勤め先じゃん、そこにあの説教女がいるの? なんかの間違いじゃない?」
「信頼できる筋からの情報だ。知ってることがあれば教えてくれ」
 何たる幸運。出来過ぎてる感もあったが、ここで何らかの情報を掴めるのならそれに越したことはない。だが、俺の淡い期待はあっさり裏切られる。
「そりゃ無理だよ。僕だって一回しか入ったことないし、守秘義務があるから母様も教えてくれないと思う。すごい大事なプロジェクトらしいから」
「そうか……わかった。無理言って悪かった」
 落胆を隠しきれず、受話器を離して大きなため息をつく。レオには悪いが、正直なところ期待外れもいいとこだった。
 俺が電話を切ろうとすると、レオの慌てた声が耳に入り、もう一度だけ耳を傾ける。
「研究所のことは言えないけど、弥生って人のことなら知ってる。弥生あやめ。弱冠十二歳で合衆国の超有名工科大学を首席で卒業した超天才児だよ。結構前の話だから今は二十歳くらいになってるかもだけどね。今は機械だけじゃなくて脳医学とかDNAにも関心を持ってるらしい。とにかくあらゆる分野で実績のある人さ」
 役立たずじゃないだろと最後に付け加え、レオがふんっと鼻を鳴らす。早口でまくしたてられ、全部は聞き取れなかったが、あすかをさらった張本人の情報が入っただけでも実入りはあった。
「さすがレオだ。助かったよ。母さんにも礼を言っといてくれ」
 適当に流して電話を切り、ソファーに寝そべる。楽弥の言い分じゃ決戦は明朝。今は少しでも休んで英気を養っておくべきだと思った。
「あすか……助けに行くからな」
 携帯を胸に抱え、目蓋をとじる。今日は色々あって疲れた。暗く、音の無いリビングに睡魔は素早く忍び寄ってくる。深い眠りに落ちた俺には包丁で突いた胸の傷が、既に塞がりかけていることに気づくことは無かった。
*
 翌朝、携帯の着信で目が覚めた。昨日の陰鬱な気分が嘘だったかのように感じる。カーテンの隙間から差し込む陽光が目を指したが、それさえも希望の光に見えた。
「玄関で待ってる、か」
 時計を見ると朝の七時。本当に八時間で全ての準備を整えたのか。楽弥には感謝しても、し足りないな。
 俺は携帯だけを持って玄関まで行き、ドアノブをひねる。ドアの隙間から親友の顔が覗き、冷たい空気が頬を撫でた。
「おはよ。よく眠れたみたいだね」
 そう言う楽弥の目は充血していて酷く腫れている。眼鏡越しに拡大された表情は、一睡もしてないとすぐにわかるくらい疲れていた。夜を徹して作業してくれた親友の気持ちに、自然と頭が下がる。
「そういうのは全部終わった後に可愛い女の子でも紹介してくれた方が嬉しいよ。ほら、これ持っていって」
 楽弥がいつもの四次元カバンに手を突っ込み、いくつかの道具を取り出す。小型モバイル、布に包まれた怪しげな物、何に使うのか分からないが予備のバッテリー数個、朝食代わりの菓子まであった。
「この布にくるまれてるやつは?」
「開けてみて」
 言われたままに開くと、重量感たっぷりの重厚なナイフが朝日に刃を光らせていた。
「敵のアジトに丸腰で行くわけにはいかないでしょ。銃とかだと使い慣れてなさそうだから、ナイフにした。それともう一つ秘密の機能もあるから、ピンチの時は使ってね」
 秘密機能についてごにょごにょと耳打ちする。楽弥が言うようにスイッチのようなものが持ち手のちょうど人差し指のところにあるので、とっさに使えそうだ。
「モバイルには研究所内の見取り図が入ってるから、向こうにつく前に目を通しておいて。セキュリティは到着次第手動で何とかするから、研究所についたら必ず連絡を入れて欲しい。あすかちゃんがいそうな場所はいくつか目星をつけたけど、違うかもしれない。実際に聖ちゃんが侵入して確かめてみて」
 モバイルの操作を簡単に教わり、いくつかに区分けされた地図に目を通す。レオが明かせないと言っていた研究所の間取りも楽弥にかかれば、新居を探すように手に入ってしまうのだから、ある意味恐ろしい。
「侵入後は、こちらからは何も連絡できないと思って。それじゃ、グッドラック!」
 親指を立て、白い歯を見せる楽弥。俺は楽弥の拳に自分の拳を合わせ、背中越しに手を振った。
*
 楽弥に渡された地図に目を通しながら俺が向かったのは、以前、あすかと使った最寄駅だ。よく映画や漫画とかである様に決戦に赴く時のような装備や乗り物がたかが学生の俺に手に入るわけもなく、ちょっと遠出するような感じで駅の改札を通る。
 地図と一緒にモバイルに記録されていた情報によると、霧隠研究所は県境の山間部にあるらしかった。電車を二本乗り換え、駅からバスに乗り換える。所要時間は二時間超。その間俺は警察の目をやり過ごす必要がある。
 一応の装備として表情を隠すために大きめのマスクと親父が格好つけて買ったサングラスをかけてきたが、大して効果は無いだろう。だが、気休め程度でもしないよりはマシだ。
 警察を警戒しながら、電車を乗り換える。今のところは見つかっていないようだ。
 俺は適当に掴んできた革ジャケットを羽織りなおし、モバイルの地図を何度も目に焼き付ける。あすかが監禁されているらしいポイントは全部で三つ。そのどれもが研究所の奥深くで、いかにもという感じの場所だ。その順路、最短距離の一つ一つを脳内で再現できるように何度も繰り返し、指で辿っていく。その作業だけで電車内のほとんどの時間を費やした。
 敵の本拠地がある駅に着くころにはモバイルの内容をほぼすべて頭に収めることができた。ここまで集中して物事に取り組んだのはこれが初めてだったかもしれない。バス乗り場で警察が張っていることも考えて、変装はそのままにしておいた。
 都市部とは違う山の風が吹き付け、ジャケットのポケットに手を突っ込む。バスを待つ客は俺一人で、警察はおろか人影すらなかった。ここまで来ると、どうやら警察はまだあすかの居所を掴んではいないようだ。それだけで楽弥の情報収集力がいかに優れているかということが証明できる。
 俺はほどなくしてやってきたバスに乗り、後払い用の整理券を取る。行き先はわかりやすく「霧隠研究所前」。おそらくはほぼ研究員専用のバスなのだろう。いぶかしげに俺のことを見るバスの運転手からしても、俺の想像もそこまで的外れではないように思う。
 バスの停留所は極端に少なかった。ひたすら続く山間部の景色。いくつかのバス停が見えるも乗車客がいないのを見るや、運転手はブレーキも踏まず、無言で通過する。一見停留所に見えても、実際は通過点でしかないようだった。
「次は終点ー、霧隠研究所前ー」
 気の無いアナウンスが流れ、俺は外の景色から正面へと視線を動かす。自然豊かな風景の調和を乱すように建てられた白い壁。辺りにそぐわない近代的な建造物は、研究施設というよりも要塞のように見えた。
 抜けるような停車音と共に俺は立ち上がり、用意しておいた乗車賃を運転手に手渡す。そのまま黙って降りようとすると、後ろから運転手に声をかけられた。
「あんた、ここに何の用で来たんだい? 見たところ、学生みたいだけど」
 一瞬、警察のことが頭をよぎったが、見たところ珍しい客への単なる好奇心のようだ。
「ただの社会見学です。知人の両親が働いているので」
 本当のことを言えるはずもなく、適当に答える。ある意味嘘はついてない。
「へえ、勉強熱心だね。でも気を付けなよ。ここ、いろいろ悪い噂が絶えないからねー」
「それは、どんな?」
 ただの世間話のつもりだったが、運転手の表情にわずかに影が差したような気がして、息を飲む。
「なんか、人体実験をしてるとかさ」
 冗談めいた物言いだったが、運転手の目は笑ってなかった。俺は研究所全体から威圧感のようなものを感じ、反射的にカバンの中のナイフを掴む。人体実験。その、人を興味深い研究材料としか思っていないような言葉の響きが脳内にこだまし、めまいにも似た感じを覚える。
 その後、俺は二、三言葉を交わしてバスを降りた。走り去ったバスを合図に、邪魔なサングラスとマスクを取り、代わりに携帯電話とナイフを取り出す。
 目の前に立ちふさがる高い壁とその上にある柵と有刺鉄線。固くロックされた門は猫の子一匹通さない堅牢な作りだ。
 俺は取り決め通り、楽弥の番号をコールし、反応を待つ。鳴り続けるコール音。こういうときは完璧にスタンバイしていると思ったが、いつまで経っても楽弥は出ない。それどころか快調になっていたコール音さえも次第に途絶えがちになり、ついには何の音もしなくなった。
「……なんだ、これ」
 楽弥が出ない。そのこともおかしかったが、いつの間にか携帯の電波が圏外になっていた。初めから圏外なら、そもそも電話をかけられないはずだ。電池の残量も十分にある。何らかの外部的要因、それしかなかった。
「……!」
 俺の手の中で突然携帯が振動し、慌てて画面を見る。非通知の着信。明らかに怪しかったが、恐る恐る通話ボタンを押して、受話器を意味に当てた。
「いらっしゃいませー。一名様ですか? 一名様ですよね。ねえ、聖くん?」
「お前、誰だ?」
 聞き覚えのある声だ。あすかが連れ去られた時、最後に聞いたあの女のもだとわかっていたが、あえて聞き返す。
「質問に質問で答えちゃだめですよー。私は弥生さん、あなたの大好きな二番をさらった悪い人です」
 危うく携帯を投げ捨てるところだった。この女、俺がここに来ることをあらかじめ予測してやがった。俺は腹いせに白い門を蹴りつけ。電話口に向かって叫んだ。
「あすかをさらって何が目的だ! 今すぐ開放しろ。さもなくば、縊り殺す」
「おお、こわいこわい。焦らないでよ。あすかちゃんは今ちょっと取り込み中なのよ。服も着てないしさ」
「ふざけるなッ!」
 気づいた時には門にナイフを突き立てていた。金属が金属に噛みつく鋭い音が聞こえてくる。しかし、大きな音がした割に固く閉じられた門は表面の塗料が削れただけで、傷一つ付いていなかった。女の猫撫で声と自分の無力さが相まって、さらに苛立ちが募る。
「もう、乱暴なんだから。ちょっと待ってってば。そんなんじゃ女の子も逃げちゃうよ? 今扉開けたげるから……えっとこれだっけ。ポチっとな」
 電話口から聞こえてきた耳を疑うような内容。だが、もっと信じられないことに、あの女が口で言ったスイッチ音と同時に目の前のいかにも厳重そうなロックが解除されたらしく、重い駆動音と共に門が左右に開かれていく。一つ目の門が難なく開き、楽弥からは聞かされていなかった奥の扉も自動で左右の壁に引き込まれていった。
 確かに門は開けて欲しかったが、あたかも友達でも来たかのように門を開けてしまうなんて、何か裏があるに違いない。そう思い、ナイフ片手に身構えていたところで、門の中にいた何かと目があった。その瞬間、殺気を感じて門の前方を避けるようにして横転する。転がった拍子に落ちた携帯電話のすぐ脇に針のようなものが突き刺さり、俺と目があったなにかがゆっくりと姿を現した。
「こんなの、聞いてないぞ」
 信じられない光景に冷や汗が出る。俺と目のあった物体の正体は、白銀ボディに巨大なセンサーアイを搭載した小型の戦車のようなものだった。
 地面の上に転がった電話から、弥生の楽しそうな声が聞こえてくる。
「んー、銀ちゃん惜しい! がんばれ銀ちゃん、十一番を生け捕りにするのよ!」
 
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