#24 ウェイトレスガール
 初春。俺とあすかは二人きりを避けるために、学校の近くにあるファミレスまでわざわざ足を運んでいた。夕方で飯時のはずだが人はまばらで、店内には時折暇な学生や、遅い昼食を取りにきたサラリーマンくらいしかいない。
 ここのところ、楽弥は家の事情だと言って、学校を休みがちになっていたので、校内ではもっぱら二人でいることが多くなっていた。夏休みの一件もあり、噂の一つも立ちそうなものだったが、俺が絡んでいるからか、意外にも平穏そのものの日常を満喫していられている。
 俺たちがファミレスまで来たのは別に飯を食うためではなく、来たる文化祭の準備をするためだった。文化祭実行委員という面倒役をあすかが進んで引き受けたため、なぜか無関係の俺が連れて来られたというわけだ。
 では、何故二人しかいないのかと言えば、内容も役割も大方決まっているからだった。内容はメイド喫茶。発案者は楽弥で対抗意見にお化け屋敷やゲームセンターというのもあったが、楽弥の気持ち悪いくらいの熱弁に渋々他の対抗馬が折れたのだ。
 内装や衣装、軽食や飲料の注文は一通り終わり、最後に残されたのが生徒それぞれのタイムテーブルの製作である。俺たち以外の生徒は友人やクラスとの兼ね合いが少なからずあり、細かい注文に目を配っていくと、分刻みのスケジュールで回さなければならないらしい。
「山田は午前中の十時から十一時まで。佐野は午前中から無理で午後は空いてる。桜井は……」
 ファミレスのテーブルいっぱいに広げられたのはクラスメイト全員から集めたスケジュール表。あすかはそれを熟読し、全ての生徒が公平になるようにノートを何枚も使って、タイムテーブルの隙間を埋めていっている。
 ちなみに俺は全時間フリーだと書いた。別に他にやることもないし、文化祭そのものにあまり興味がわかなかったからだ。毎年欠席組の俺からすれば、参加するだけで意義がある。
「そうだ、聖。昼休みは空けておいたぞ」
「なんでだ?」
 来店時に出された冷水を喉に流し込み、聞き返す。すると、あすかは携帯を取り出して、俺に見せた。送信者は楽弥だった。
「楽弥が何かやるつもりらしい。聖にも送ってたみたいだが?」
 そういえば、着信があったような気がしたが、いろいろあって見ていなかった。メールの文面を見ても、ただ昼休みを空けといてと書いているだけで、実際何をするかは全く書かれていない。
「何をやらかすつもりなんだ。あいつは」
「さあ? よし、タイムテーブル出来た」
 あすかが全員分のスケジュールを机に立てて、角をそろえる。テーブルに置かれた一枚のルーズリーフには、バイトのシフト表のようなきっちりしたグラフが二日に渡って女の子らしくないカクカクとした字で綿密に書き込まれていた。
「お疲れ。俺は何もしてないけどな」
 タイムテーブル作りのほとんどの作業はあすかが家でやって来ていた。確認のためと呼ばれて来たはずだが、どうみても確認の必要はないほど完璧にできている。しかも、そもそも俺は書かれている名前を見ても、半分以上顔と名前が一致しないのだから、あまり意味がないように思わった。
「実は、別の用があって呼んだんだ。これを見てくれ」
 あすかが取り出したのはいつもの四角い学生鞄ではなく、よくサラリーマンが出張時にスーツなどを持ち運ぶのに使う、ハンガーバッグだった。学校にいるときから気になってはいたが、何が入っているのかは聞いていないし、知らない。
 あすかがおもむろにジッパーを空け、中身を俺に見せる。黒を基調にところどころフリルのついた衣装。ワンポイントに赤いリボン。ハンガーの脇につるされたヘアバンドのようなもの。そうか、これが俗に言うメイド服というものかとなんとなく想像した。
「裁縫が得意な子がいてな。完成品の一つを無理言って借りてきた。男用のは当日までには間に合わせるらしい」
「実物は初めて見た。というか、俺たちもこれを着るのか?」
 いくらなんでもスカートは無いだろと思い、聞いてみると、あすかが飲んでいた水を吹き出しそうになり、むせる。冗談だと思ったらしい。
「げほげほ、バカ。男は燕尾服だって話し合いで決めただろう。楽弥はメイド服を着ると言い張っていたが、さすがに聖のサイズは作って無い」
 咳きこみながらも、笑うあすか。楽弥は着るのかよと突っ込みたくなったが、楽弥なら存分にあり得るのであえて聞かなかった。
「そんなことより、これを見てどう思う?」
 あすかがメイド服を手に取り、自分の服の上に合わせるように持ちあげる。なるほど、サイズはピッタリのようだ。わざわざ全員から金を集めてオーダーメイドにしただけはある。
「良くわからないが、そういう需要もあるんだろうな」
「そうじゃなくって……」
 そうじゃなくてなんなのだろう。俺が腕を組んで考えているところで、銀のトレイの上にコップを二つ乗せたウェイトレスがこちらに向かってくるのが見えた。ロリータファッション気味な制服に丈の短いスカート。背丈はモデルと見まごうほどすらっとしていて、胸ははちきれんばかりに大きい。
「ご注文のコーヒーとオレンジジュースになります。ご注文の品はお揃いですか?」
 一言で答え、伝票を受け取る。モデルのようなウェイトレスは営業スマイルの後、丁寧にお辞儀をして去って行った。あんな店員いただろうか。親が消えてから何度か利用しているが、一度も見たことが無い気がする。しかし、たった二つだというのにずいぶん遅かったな。もしかすると、新人なのかもしれない。
 俺はブラックを注文していたはずなのになぜか備え付けられた砂糖とミルクをテーブルの隅によけ、カップを手に取る。そして、口をつけようとしたところであすかに耳を引っ張られた。
「何をする。痛いだろ」
「今、えっちな目でウェイトレスさん見てた」
 見てないと即座に否定するが、あすかは怪訝そうな目で俺を見ている。
「スタイルがいいなと思ったくらいで」
「やっぱりそうじゃないか」
 不満そうに頬を膨らませるあすか。ひったくるようにオレンジジュースを手に取り、ストローで一気に吸う。何が”そう”で、何が不満なのか、主語が無さ過ぎてわからない。
「別に他意はなくて、主観でそう思っただけだ」
「男子はみんな、あれが好きなんだ」
 あすかは自分の胸を見つめながら、ジュースをすする。俺もコーヒーを口に運びながら、あすかが何を言いたいのか考えていた。
「あれってなんのことだ」
 思い当たる節が多すぎて特定できず聞き返すと、あすかは「わかってるくせに」と言って出て来たばかりのジュース早くも飲み干す。ヤケ酒をしているみたいだ。
「私だってまだ成長過程なだけで、いつかは足とか……胸とかも……ん、あれ?」
 唐突に舌をもつれさせ、しきりに目をこするあすか。まさかオレンジジュースで酔ったとでもいうのだろうか。次第に目が閉じがちになり、頭がこくりこくりと縦に揺れ始める。
「どうした?」
 声を駆けるも返事は無く、それどころかいきなり電池が切れたように動かなくなった。異変を感じ、立ちあがって揺り起そうとするも、俺自身、足に力が入らないことに気付く。重くなるまぶたを何とかこらえ、まだ湯気の立っているコーヒーカップに目を落とした。
「睡眠……薬?」
「試験体十一番大正解〜!!」
 うつろな意識の中でえらく楽しそうな声が聞こえてくる。いつの間にか隣に立っていたウェイトレス。そしてそれに続く、従業員らしくない黒服の男たち。
「あはは、引っかかった。引っかかった。平和ボケってやーね。私は缶からしか飲まないわ」
 聞こえて来たのはそこまでで、その頃俺の頭は強烈な眠気でまともに働いていなかった。
 ウェイトレスの女はその無駄に大きい胸をわざわざ俺の頭に乗せて両腕を回し、俺の口へと鼻を覆うように白い布を当てる。理科室の匂い。完全に意識を失う直前に俺の目に映ったのは、キャリーバッグに押し込められるあすかとウェイトレスの胸元にあったネームプレート。丸まった文字で手書きされたそれには「やよい」とひらがなで書かれていた。

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