#23.1 少女VS通い妻
 テロリスト騒ぎがマスコミを騒がせなくなって来た頃。瞬く間に月日は流れ、気づけば夏も終わりにさしかかっていた。都心ではまだ残暑きびしいなどと言われてるのかもしれないが、俺たちが住む地域ではすっかり肌寒くなり、色を変え始めた広葉樹から見ても、すっかり秋の気配を感じている。
 うさたちとの事件以降、テロリストは何の声明も出さなければ、テロ活動らしきものすら何一つ報道されなかった。いつか病室で月読の言っていたことなど何一つ起らず、平和そのものの日常が帰ってきたと言えるほどに。
 嵐の前の静けさ、どうしてもそんな単語がよぎったのは夏休みに入るまでで、今ではすっかり過去のことになってしまった。近いうちにテロそのものが俺や周囲の人間の脳から奇麗さっぱり消し去られているに違いない。
 目立った異変、そのものは確かになかった。ただ変わらないことが異常だというのも、俺個人の中でだが、一つある。家のテーブルに置かれた手紙以降、両親は一度も俺の前に姿を現さなかった。
 一緒に置かれていた通帳には毎日律儀に入金されているものの、高々高校生の息子を一人残して、父母の両方が音信不通になることは本来ありえないのではないかと思う。
 そのことを相談したわけではないのだが、監視という名目でたびたび俺の家を訪れる如月あすかは、女性特有の感というやつからか、両親が一度もいないことに気付き、俺を問いただした。
「どうしてお前の家に来ると、いつもご両親がいないのだ?」
 あすかが初めて俺の家に来た時には確かに両親がいた。あすか本人は一度も顔を合わせていないが、あれほど気まずい思いをしたのだから、間違いなくいたと断言できる。
 俺はあすかの疑問に仕事で昼はいないと言い訳をした気がする。余計な心配をされたくなかったというよりは、失踪届け出も出されたら困るというのが正直なところだったと記憶している。
 あすかはその言い分に納得しなかったが、逆に俺が何でそんなことを聞くんだと返すと、急に押し黙ってうつむいた。いつものあすからしくない態度で指をいじり始め、俺が出した紅茶を忙しなく口に運ぶ。
「それは、えーっと……一度、無許可で泊めてもらったこともあったし、聖の両親に挨拶したいというか」
 妙に歯切れの悪い言い方で落ち着きなくカップに入れてティースプーンを掻きまわしている。俺が黙ってコーヒーをすすっていると、あすかは上目遣いで俺の顔を見た。
「何人かで来てる時はいいのだが……二人きりでこうしていると、何が起きても不思議じゃないというか」
「それは確かに心配だ。家の中でもテロの一つくらい起こるやもしれない」
 冗談のつもりで言ったのだが、なぜか明日香は頬を染めて、さらに押し黙った。動物園に言った頃くらいから、あすかは何かおかしい。学校でのあすかは今までどおり迷惑の塊で、所かまわず説教だの成敗だのやらかしているが、俺と二人きりになると今のようになる。
 しばしの沈黙。コーヒーをすする音とスプーンがカップをたたく音だけがリビングにこだまする。不思議と気まずさはなかった。何も喋っていなくても、思いが通じてるような感覚。
「なぁ」
「聖」
 ……話し始めが被り、お互いに譲り合う。最近はこんなやり取りも珍しくない。こういうときは譲り合っていても、大体先にあすかが喋りだして、また同じことになりかねないので、俺は聞く側に回るようにしている。なんだか往年の老夫婦のような関係だ。
「大したことじゃないんだが……最近まじめに学校に来てるなと思って」
「そうだな」
 毎朝、鬼のピンポン連打をされれば、必然的に真面目にならざるを得ない。ただ、一つ付け加えるならば、前までは面倒で仕方なかった学校も、今ではそこまで苦痛ではなくなっている。生物の授業を除いてだが。
「テストはどうだった?」
 あすかが言っているのは期末テストのことだろう。冬海には無意味な神学校と言う肩書きのために赤点を取った物には夏休みの補習がある。俺はその常連で、毎度のごとく楽弥と灼熱の教室に足しげく通っていた。毎回全教科白紙で提出していたのだから、当たり前と言えば当たり前のことだが。
「信じられないことに、全教科平均点以上だった。楽弥は想像に任せる」
 あえて言うなら、楽弥は補習確定だ。あすか、イルカの秀才コンビのスパルタ指導も奴には何の意味も示さない。なぜなら、楽弥はそれを上回る天才だから。
「楽弥も白紙で答案を出したらしいな。担任の先生が頭を抱えていた」
「楽弥は体育以外、オール5なんだがな」
 白紙で答案を出して何故オール5なのかと尋ねられると、俺も良くわからない。楽弥いわく、俺の回答欄は枠に縛られないらしく毎回裏面に独自の見解に基づいた解答をぎっしり書いて来るらしい。しかも、表裏回答欄があるときは、楽弥だけに白紙の紙が配られるという徹底ぶりだという。ただ、得点の関係上、補習は避けられないだけだ。
「ともかく、楽弥は補習なんだな。そこで、一つ提案があるのだが」
「なんだ?」
 あすかは鞄の中をごそごそやり、一枚の紙を取り出す。中心に踊る色とりどりの花、花、花。植物の花ではなく、一瞬で舞い散る火薬の芸術の方だ。
「納涼花火大会。補習と重なっているが、夜からなら問題ないだろう。みんなにも声をかけておいたのだが、聖はどうだ?」
 八月をはじめ、日付に関係なく俺は夏休み全日予定がない。参加しているコミュニティが極端に少ないのもあるが、大方高校生なんてものは暇に決まっている。俺は二つ返事でOKを出した。
「本当か! じゃあ、いろいろと準備が必要だな……」
「準備?」
「いや、こっちの話だ」
 あすかが嬉しそうに目を輝かせる。この何気ない、高校生らしいやり取り。花火なんて行ったこともなければ、興味もなかったのにどうして行くなんて言ったのか。
「あすかがいるからか……か」
「ん、何か言ったか?」
「いや、こっちの話だ」
 そうかとあすかは満足そうにうなづき、冷めた紅茶を一気に飲み干す。そしておもむろに立ち上がり、俺の左腕を掴んだ。
「なんだ?」
 訳もわからず聞き返すと、あすかはさも当たり前のように答える。
「パトロールに決まってるだろ。行くぞ」
 何で俺がと言ったところで意味をなさないのはわかりきっている。俺は聞き分けの良い子供の如く素直に立ち上がり、ありふれた日常の一日をあすかと共にした。

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