#22 わたしとこいぶみ
 退院後、久々の登校。如月が珍しく俺のことを気遣ってくれたが、テロリストとやりあったときの傷は浅く、俺は普段と変わらぬ様子で学校への歩みを進めていた。ショートホームルームまでは三十分以上も余裕がある。
 入院していた俺は知らなかったが、ここ数日は雨が降り続いていたらしく、通学路のところどころに水溜りの跡が目立つ。だがしかし、運良く今日は雲一つ無い快晴。雨に洗われた清々しい空気と鏡のように澄んだ水面に朝日がきらきらと光っていた。
 数日前の嵐のような出来事とは対照的な平穏。幸いにも冬海高校はマスコミの脚光を浴びることもなく、いつも通りの平静を保っていた。校内の生徒にとってはテロなど日常外の絵空事に過ぎず、何食わぬ顔でルーチンワークをこなしている。
 予想外なニュースが飛び込んできたのは、俺が教室の戸を開けてすぐのことだった。
「どういう意味だ。これは」
 入って最初に目に入ったのは黒板にセロテープで貼り付けられた安っぽいゴシップ紙。見出しには『うさぎ惨殺。犯人は宇宙人』とあり、その下には事件後やむなく閉鎖されてしまったうさぎ小屋の写真があった。
「新聞部の誰かが作ったらしい。今は学校中その噂で持ちきりだ」
 如月が淡々と事実だけを俺に伝える。事実を知る俺からすれば笑える内容だが、刺激に飢えたその他大勢の生徒にとっては大ニュースなんだろう。
 塊になって話している連中から漏れてきた話によると、宇宙人以外にも愉快犯の仕業だとか人気の無い教師の名前、悪名高い生徒が犯人ではないかとの説も上がっているようだ。もちろん俺にも容疑はかかっている。
「まぁ、ある意味宇宙人の仕業だな。あれを俺と同じ人間だとは思いたくない」
 皐月を名乗る宇宙人のことを思い出し、誰にともなく言う。あれだけ痛めつけ、厳重に拘束したにも関わらず、いとも簡単に逃亡してのけたのはどう考えても人間技じゃない。
 俺は、憶測と足りない想像力を最大限発揮して、さらに嵩増ししてある文面には目を通さず、そのまま自分の席に向かった。椅子を引き、腰掛けた瞬間に尻の 辺りにかすかな違和感を感じる。俺を犯人だと思った輩の仕掛けた趣味の悪い罠かとも思ったが、どうやら違うようだ。一度、尻に敷いた薄っぺらい物を手に取 り眺めて見る。
「うさぎのシール?」
 椅子の上に置かれていたものは白い封筒だった。宛先や届け人の名前は書いておらず、その代わりか小さなうさぎのシールで封がしてある。
 俺はシールを破かぬようにそっと剥がし、中身をあらためる。きちんと折りたたまれた手紙と何かのチケットらしいものが入っていた。チケットはひとまず置いといて、手紙の方に目を通す。
『いっしょにどうぶつ園にいきたいです』
 ピンクのかわいらしい装飾がされた便箋の真ん中に、ひときわ小さい文字でこの一文だけ。ただこれだけの文字量なのに何度も消し跡があり、簡単な漢字しか 使わないのにひらがなだらけだ。後から見たチケットには巷で話題になっている新しい動物園の名前が入っている。これだけの情報から想像するに、送り主は一 人しか思いつかなかった。
「せ、聖ちゃん!? それは、まさか、もしかして、もしかすると……ラブレター!?」
 気がつくと、隣で楽弥がわなわなと肩を震わせ、立っていた。その目は俺の手にした便箋に注がれており、気のせいか少し、いや、かなり血走っている。
「珍しく早い登校だな。これは別に……」
 弁解と言うか、単に説明しようとしただけなのだが、楽弥の行動は早かった。行き先はついさっきまで一緒に登校していた如月の席。大げさな身振りで何かを熱弁している楽弥。全てを聞き終える前に無言で立ち上がる如月はいつにも増して迫力があるように感じる。
「聖、それは何だ?」
 颯爽と肩で風を切り、威圧感を振り向きながら俺の席に歩み寄って来た如月だったが、俺の机の前に立ってからというものの、いつものような上から目線ではなく、言葉にもどこか感情がこもってないように気がした。
「あすかちゃん、あれはラブレターだって!」
 観念して……というか別にやましいことなど無いのだから正直に本当のことを言おうとしたのだが、それを押しのけて楽弥は囃し立てる。しかし、どうやら如月の耳には届いていない。ただ、俺の答えだけを待ってる。そんな様子だ。
「これは……正直言うと、良く分からん。来たら椅子の上に置いてあったんだ。差出人の名前も無くて、用件だけ」
 元通り折り畳んでおいた便箋をそのまま如月に差し出す。だが、如月はそれを受け取らずに言った。
「これはお前に当てられたものだろう。私に見る資格はない。私はその……聖の――じゃないんだし」
 声が小さくて一部聞き取れなかったが、如月が俺の何だと言ったのだろう。珍しく煮え切らない態度で僅かにうつむく如月に代わって、楽弥が俺の手から手紙を奪い取る。そして、取り出した便箋をあらゆる角度から何度も凝視した後、くんくんと鼻に近寄せる。
「これ、うさちゃんの匂いがする!」
「な、卯月うさのか?」
 とんでもない方法で送り主を特定した楽弥には突っ込まず、心底驚いた素振りを見せる如月。そこまでしなくても、良く観察すれば誰にだって察しがつきそうなものだが。
 なにやら差出人について三人の意見が一致したようなので、ざわつく二人を尻目にこれからの予定を告げておくことにしよう。
「まぁ、断定は出来ないが、うさが出したものらしい。放課後に直接会って詳しいことを聞いてくるよ」
 俺は隙を見て楽弥の手から封筒を取り返し、そのまま鞄にしまう。如月は何か言いたい事があるような顔をしていたが、結局黙って自分の席へと戻っていった。
 その後はいつも通りの退屈な授業が行われ、いつものように寝て過ごした。いつもと違ったのは授業間の休みに如月が一度も注意しに来なかったことと、昼休 みに渡された弁当に箸がついていなかったことだけ。楽弥はいつも以上にうるさく喜怒哀楽の限りを尽くしたが、俺は適当に相槌をついているだけで、肝心の内 容は耳にも頭にも入って来ない。
 あれから俺がずっと気になっていたのは、如月の背中が普段以上に小さく、か細く見えたことだけだった。
*
 放課後。担任の言葉を適当に聞き流し、担任が帰るのと同時に人波を掻き分けて教室のドアを開ける。楽弥はあれこれ理由を付けて、ついて来ようとしたが、如月に無言で連れて行かれたので、上手く撒くことができた。
 後ろで売られる動物のように引かれて行く楽弥が見えたが、自業自得だろう。本当は如月に今日のおかしな態度のことを聞こうと思っていたのだが、なぜか声をかけるのが躊躇われた。
「如月は一体なんだったんだ?」
 一人で廊下を歩きながら、こぼす。うさのいる校舎は俺たちの校舎とは別の特別校舎だ。俺は一度外履きに履き替え、一直線にそちらへと向かう。待ち合わせたわけではなかったが、何となくそこに行けば会えるような気がしていた。
 特別校舎は体育館の隣にある二階しかない建物だ。如月に知らされるまでは職員用の校舎か何かだと思っていたが、クラスの少ない特別学級はその程度の規模でも十分なのだろう。
 俺は校舎の前で立ち止まり、うさが出てくるのを待つ。勝手に校舎に入ることも出来たが、入り口にいる受付の女に何か言われると面倒だ。別にわざわざクラスまで出向かずとも、出入り口はここしかないのだから、来るまでここで待っていれば良い。
 程なくして、何人かの生徒が授業を終え、校舎から出てきた。眼帯をした生徒、車椅子に乗った生徒、何がおかしいのか分からないがへらへらと笑う生徒。本当に個性豊かな生徒たちに混じり、何度もうさぎ小屋で顔を合わせた二人が出てくるのが見える。
 お互いが目を合わせるや否や、うさがイルカの背に隠れる。イルカは気にせず痛々しく包帯の巻かれた腕で筆ペンを取り、真っ白なスケッチブックにペンを走らせる。
『手紙は読んだか?』
 俺は返事の代わりに鞄をひっくり返し、今朝椅子の上に置いてあった封筒を取り出して見せる。それを確認したイルカは黙って一歩横によけ、そっとうさの肩を押した。
 一度振り返り、不安そうにイルカの顔を見るうさ。イルカは口元だけで微笑み、聞こえない声でうさを元気づけた。とても短い言葉のようだったが、勇気が出たらしく、とことこと危なっかしくこちらへと歩み寄って来る。
「あの……」
 消え入りそうなほど小さな声。うつむき加減なうえに学校で一、二を争うくらい背の低いうさだからこそ、ほぼ常に上目遣いになる。小さな両手は祈るように胸の前で組まれており、体は小刻みに震えていた。
 俺はあえて何も言わず、うさが自分から話し出すのを待っていた。長いこと喋ることを忘れ、うさぎだけと心を交わしていた彼女にとって、普通に喋ることさえ難しいのは俺にだってわかる。だからこそ、お節介な助け舟を出したりはしない。
「こないだ、たたいてごめんなさい……」
 うんと縮こまりながら、ようやく出た言葉は謝罪の言葉だった。俺はてっきり手紙の件についての話だと思っていたので、どういった反応をすればよいのか とっさにわからず、たじろぐ。その時俺ができたこといえば、今にも泣き出しそうなうさの頭に手を置くことくらいだった。
「おこってない?」
 両目を潤ませながら俺の顔を見つめるうさ。その様子は俺に襲いかかってきたとは思えないほど幼く、叱られることにおびえる子供のそれと変わらない。
「身体は頑丈な方なんだ。気にすることじゃない」
 ポンと優しく頭を撫でる。こちらこそ、絞殺しそうになってごめんなとは間違っても言えない。
 うさは両手でごしごしと涙をぬぐったけれど、ぬぐってもぬぐっても涙があふれてくるようで、ぼろぼろと乾いた地面に涙の跡を作っていく。しかし、その表情に悲しみはなく、涙に濡れた笑顔がそこにあった。
「動物園、行きたいのか?」
 一度目を丸くしてから、こくりと首を縦に振るうさ。制服のポケットの中から封筒に入っていたのと同じチケット取り出し、俺に見せる。
「せんせいにもらったの。でもわたし、いったことないから……」
「そうか」
 幼い頃、両親に連れられ動物園に行った。俺でさえ行ったことのある娯楽施設にさえもうさは行ったことがないと言う。本人の口から聞いたわけではないが、 彼女は両親から愛されたことがなかったのだろう。うさは両親と仲良く動物を眺めに行くどころか、自ら檻に閉じ込められていたのだから。
 うさから渡されたこの手紙は楽弥が言うようなものではなかった。これは純粋な、うさのはじめてかもしれない願望。イルカではなく、俺を選んだのは事件の負い目からだろう。となると、断れるはずがない。
「今週末なら空いてる。行き方とか調べておくよ」
 そういった瞬間にうさの表情から不安の雲が取り除かれ、晴天のような笑顔に変わる。目の片隅に入ったイルカのスケッチブックには『よくやった』となぜか上から目線の言葉が書かれていた。
 何もかも円満に片付いたと思った矢先の出来事だった。ガサゴソという、あからさまな音。ついさっきから気になっていたが、植え込みの妙に盛り上がった部分から二人分の人影が飛び出して来ていた。
「ちょっと待ったーッ!」
 全身草葉にまみれた楽弥が威勢のいい声を上げる。その後ろにはいたたまれない感じの如月。楽弥は飛び出した拍子にずれた眼鏡を直し、いい感じに終わりそうだった空気をぶち壊すために肩を怒らせてこちらへ向かってくる。
「聖ちゃん。いくら聖ちゃんでも僕を差し置いてそんなおいしいイベントを、それもうさちゃんと二人きりで満喫しようとは! 僕の目が黒いうちはそんな真似はさせないぞ! 大体、聖ちゃんにはあすかちゃんという嫁がいながら……ッ!?」
 途中で楽弥の言葉が途切れたのは如月が思いっきり楽弥の頭に鞄を叩きつけたからだ。不意打ちとはいえ、情けなく一撃で昏倒した楽弥を踏み越え、今度は如月がゆっくりとこちらに来る。その顔は怒りとはまた違った赤で染まりきっていた。
 俺とうさのちょうど真横に立った如月は小さく咳払し、俺の目を見なようにわざと顔を少しそらしてから口を開く。
「こほん。つい楽弥の口車に乗せられて盗み聞きしてしまったが、聖とうさを二人きりで、そんな……恋人同士で行くようなところには行かせられない。わ、私も同行させてもらう!」
「なんで急に如月が……」
 突然の出来事に引いているうさを横眼で見ながら、苦し紛れに言う。それに対する如月の言い草はこうだ。
「そ、それは……私が、そのつまり……聖の」
「俺の?」
 普段の息もつかせぬような正論だけで構成された説教とは違い、何度も言葉を切りながら言う如月に、ある意味気押されながらも、一言だけ聞き返す。如月は耳まで真っ赤にしながら、叫ぶようにして答えた。
「聖の……保護者だからだ。バカっ」
 保護者って、そんなことのためにわざわざ学校と何の関係もない行楽についてくるのか?
 俺は如月らしくないあまりに筋の通っていない物言いに唖然とし、ただただ如月のことを見た。返す言葉がないというよりは、何が何だか分からないという感じだ。
 そんな中、俺たちに助け船を出したのは少し離れたところで見守っていたイルカだった。
『よくわからんが、落ちつけよ。誰も二人で行くなんて言ってない』
「え?」
 如月が聞き返すのと同時に俺たちの前に差し出されるチケット。俺に渡されたものと同じものが三枚。困惑する俺たちの前でイルカが新しいページにインクをにじませる。
『こうなると思ってあらかじめ他二人の分も取っておいた。無論、俺の分も』
 なんという策士。言われてみれば、いつもうさと一緒にいるイルカが同行しないわけがなかった。手紙にも”二人で”とは書いてない。初めからそのつもりで手紙を出したのだろう。
 頬を染めた如月がわなわなと身体を震わせうつむく。怒っているのではないとなんとなくわかるが、声をかけたり、とにかく刺激するようなことはできそうになかった。
「な、なあ、うさ。みんなで動物園行くか?」
「うんっ」
 何とも嬉しそうな笑顔。俺は怒ることも素直に喜ぶこともできず、幸せそうな顔で笑ううさの顔と今にも爆発しそうな如月の顔を交互に見ることしかできなかった。


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