#21 わたしとつきのへび
 入院させられて早二日目。如月以外の見舞い客が来たのは、病院独特の味付けの薄い飯を食べているところだった。夕食というには少し早く感じる六時頃に訪れたのは楽弥。それに続けて卯月とイルカが並んで入ってくる。
「せせせ、聖ちゃん、大丈夫かッ!?」
 病室に入ってくるなり叫んだ楽弥に対して、病院で大声を出すなと軽く注意し、それよりもお前の頭は大丈夫かと心配してやる。楽弥は楽弥なりにすごく心配していたようで、見舞いの品と呼べるのか分からない、一目で18禁とわかる本を二、三札本棚に立てた。
「いや、そういう気遣いはいらないから。卯月に見られるぞ」
「え、マジで? もしかして、あすかちゃんがいるからこういう本はいらないとか……?」
 俺はきっぱりと否定し、無理やりに楽弥の視線を後ろの来客へと向ける。扉の前でイルカに寄り添いながら、伏し目がちに楽弥の暴走を見ている卯月。楽弥は慌ててブツを隠そうとするが、慌てたせいで偏った趣味のエロ本三札全部が表紙やら中身やらを露わにして病室の床にばら撒かれる。
 それを不思議そうに眺める卯月。言えるわけがない。誰がどう見ても児童ポルノ法に引っかかると思えるような内容が数ページで見てとれた。
『このロリコン野郎』
 スケッチブックにペンを走らせるや否や、強烈な批判を浴びせるイルカ。否定するに否定できない楽弥を見てくすりと笑う。俺が怪我したことで多少は凹んでいるかと思えばいつも通りの楽弥だった。なんというか、情けなすぎて安心する。
「まぁ、ロリコン野郎は置いといて、何でこの時間にお見舞いなんだ? 気持ちは嬉しいが、どうせ明日には退院するぞ」
「酷いよ聖ちゃん! 僕の性癖をネタにするなんて!」
 変な所に食いついてくる楽弥を無視し、イルカに改めて尋ねる。イルカがペンで何かを書いている最中、病室のドアが何者かによってノックもなしに開かれた。
「おお、みんな集まってくれたか。もう一人もじきに到着するぞ」
 両手に缶ジュースを抱えた如月は、戻ってくるなり慌ただしくそれぞれにジュースを配り始める。どうやらイルカの返事を聞かずとも、事件の当事者がこんな場所に集まった理由がわかった。
「如月が集めたのか。この見舞い客とロリコン野郎」
「そうだ。嬉しいだろう」
 胸を張って言う如月に対し、別に明日会えばよかったとは言わず、適当に頷く。それよりも気になっていることがいくつかあった。見舞い客用の椅子を最大限利用し、立ったままの三人に勧める。楽弥にはベッドの脇を譲った。
「イルカも卯月も元気そうで何よりだ。親と生活指導の教師以外で俺の病室を訪れた奴なんて珍しいしな。それで、せっかく集まってもらったところ悪いが全員に聞きたいことがあるんだ。一人ずついくつか質問させてもらいたいんだが」
 全員が首を縦に振る。如月だけは少し表情が硬い。だが、一番話を聞きたいのは如月だ。
「如月。昨日の放課後、どこで何をしていた?」
 ギクっという擬音が聞こえてきそうなほど、如月の身体が硬直する。聞かれたくないことを聞かれたようなそぶりを見せる如月だが、やはり何か後ろめたいことでもあるのだろうか。
 如月はこほんと軽く咳払いをし、頭を振って気持ちを落ち着かせてから、ゆっくりと話し始める。
「私はその、正直に言うよ。病院である人と会っていた。理由は昨日の朝、家のポストに怪文書が入っていたんだ。テレビで見ただろう?」
「テロリスト関係か。会っていたのは誰だ?」
「それは……」
 言葉を濁す如月。言いたくないことなのかもしれない。だが、正直に話すといった手前、如月を信じ、忍耐強く待つ。重い静寂。観念したのか覚悟したのかは分からにが、断片的に続きを話し始める如月。
「手紙は警察関係者にではなく、私宛てのものだった。不安になったが、お父さんには言いだせなかった。そこである人に相談に乗ってもらった。その人は……ここに呼んである。それまで、待ってもらえないか?」
「わかった」
 どうして俺に相談してくれなかったのかとは聞かない。何の権力もない一個人に相談できることなどたかが知れている。詳しいことは後に来るらしいもう一人の見舞い客に聞けばいい。
「楽弥。皐月は捕まったか?」
 昨夜の死闘を思い出しながら矛先を楽弥に変え、問う。奴は気絶させたうえに全身を縛り、手錠までしていたのだから逃げられるはずないのだが、心のどこかでそのことを信じ切れずにいた。
 楽弥は小さく首を横に振る。膝に乗せた拳は硬く握りしめられていた。
「それが、うさぎ小屋に入ってる間に姿を消したんだ。警察にも説明したんだけど、証拠らしいものは何も残ってないって相手にされなかった。雨さえ降ってなければ、もっとちゃんとした捜査もしてくれたのかもしれないけど」
「やはり仲間がいたのか……」
 テロリストを名乗る男を捕まえられれば、少しでも捜査の役に立つと思ったのだが、あの皐月という男はふざけたもの言いながらも、テロ組織にとって大切な人材だったのかもしれない。
 俺は今も悔しそうにしている楽弥に礼を言い、今度は多少傷の浅い左手を使い器用にペンを回して暇をつぶすイルカに質問を始める。
「イルカ、あの傘を持った男に何を聞かれたんだ?」
 イルカは包帯で巻かれ、動かしづらそうな右手を使い、いつもより少し遅いスピードで俺への返事を書く。
『卯月の居場所と聖たちがどこにいるのか聞かれた。答えずにいたら、暴行された』
 皐月はテロリストに目をつけられていなかったのだろうか。テロリストの目的もわからなければ、優先順位もわからない。いつどこで俺や卯月の名前を知ったのかもわからず、気味が悪い。
「そういや、卯月も皐月と会ったんだよな。お見舞いに来た傘を持った男。覚えてるか?」
 こくんと首を振る卯月。顔は少し強張っており、両拳も硬く握られている。
「卯月は前日の訪問があったからわからなくもないが、俺と楽弥が狙われる理由がわからない。皐月は他に何か言ってなかったか?」
 俺の質問に対するイルカのペンは速い。俺のために無理をして少しでも情報を伝えようとしてくれてるのが見て取れる。
『いや。ただ、俺のことを殴るときにしきりに七番と言っていた』
 七番。そういえば俺のこともあいつは十一番だと言っていたっけか。完全に初対面のはずなのに、あいつ自身、俺のことをよく知っている様子だったのも気になる。
 もしかすると俺やイルカのことだけではなく、如月や楽弥のことも知っているのかもしれない。あんなイカレ野郎に如月や楽弥が単身であってしまったとしたら……考えるだけで背中が寒くなる。
「卯月。聞いてもいいか?」
 返事はない。卯月は胸に手をやり、しばらく呼吸を整えていた。その間、口元をぱくぱくといろいろな形に開いたり閉じたりと準備運動を繰り返しているらしい。
 無理かもしれないと思っていたが、卯月自体は喋るつもりのようだ。俺は急かさず、卯月が喋るのを気長に待つことにした。
 小さく、一生懸命な吐息の音だけが聞こえてくる病室で、ゆっくりと卯月の口が開く。
「うん。うづきじゃなくて、うさってよんで」

 震えそうになる口を必死にこらえて喋る卯月。いや、せっかく喋ってくれたのだから、希望通り名前で呼ぼう。うさが喋るのを初めて見た如月は、懐くまでに時間がかかったペットにするように抱きかかえて、頬擦りした。
「うさー!」
「あぅ……」
 恥ずかしそうに、でもうれしそうに頬を赤くするうさを見て、ささやかな満足感を覚える。なんとも荒療治ではあったが、頑張れば多少ぎこちなくても喋れるようになったようだ。
「じゃあ、うさ。助かったうさぎは元気か?」
 意外なことを聞かれたというようにきょとんとする、うさ。しかし、それも一瞬のことで、すぐに肩に下げていた鞄をごそごそやり始める。無事なところを撮った写真か何か……いや、うさに限り、そんなことはなかった。
「げんきだよ。ほら」
 膨らんでいた鞄から白く長い耳が覗き、直後にうさの手によってうさぎが取り上げられる。鞄の中に閉じ込められていたうさぎはうさの手の中でもバタバタと暴れた。狭い鞄の中がよほど嫌だったのだろう。しかし、病院はペット禁止だ。無邪気にうさぎを抱きかかえるうさには悪いが、鞄の奥に再び押し込めてもらう。
「よいしょ……このこ、いるかがまもってくれたの……」
 家族のように一緒に暮らしていたうさぎ達はこの一匹を除いて、いなくなってしまった。辛かったことを思い出し、両目を潤ませるうさ。俺はただ優しくうさの頭を撫でてやる。隣にいる楽弥の痛い視線が突き刺さったが、気にしない。
 うさは眼の淵にたまった涙を隠そうともせずに両手でごしごしとぬぐった。
「今回は災難だったが、良いこともあったな。さて、一通り質問したわけだが……如月の言う”ある人”ってのはいつ来るんだ?」
「もうすぐ来るはずだが、ちょっと遅いな」
 備え付けの時計を見上げ、顔をしかめる如月。時計は既に六時半を回っている。食べかけの夕食も冷え切り、元々の味付けのこともあって食べなおす気にはならなかった。
 しかし、このまま、ただ無為に時間が過ぎ去っていくのもあれだと思い、楽弥にくだらない話でも願おうとした直後の出来事だった。
「生徒諸君、待たせたな。研究発表が無能な学生の無意味な質問のせいで十五分伸びてしまった。あまりに腹立たしくて、そのまま家に帰ろうと思ったが、仕方なく来てやった。ありがたく思え」
 ノックもなく入ってくるなり、一方的に自分の意見だけをまくし立てた男は読書机の上に断りもなく腰を下ろし、何食わぬ顔でずれた眼鏡を直す。
 本来ならすぐにでもナースコール、携帯が使えれば110番したいくらい不遜な態度で、迷惑極まりなかったが、わざわざこんなところに来るということは、如月がいう人物と関係があることは間違いなかった。
「如月。ある人ってのは月読先生のことか?」
 一言で肯定する如月。何となく予想していたとはいえ、これ以上ないくらい来てほしくない見舞い客だ。同じ学校の生徒なら確実に避けて通りたい存在だろう。しかし、名前を聞いたこともないだろう特別クラスの生徒二人の両方が意外にも顔を知っているらしく、挨拶こそしないものの横目でチラチラとみている。
「月読先生と俺たちに何の関係があるんだ? 用がないなら早々に帰っていただきたいのだが。正直、同じ空気を吸ってると思うと傷に障る」
 俺たちなんぞにはまるで興味がないといわんばかりに、大きな欠伸を隠そうともしない月読を見て、わざと聞こえるような大声で如月に話す。
 如月は先生を怒らせないようにと珍しく気を使って弁解しようとするが、その前に月読が口を開いた。
「霜月生徒。君らと私には何の関係もないと頭ごなしに決めつけるのは早計だ。私が君たち問題児たちにコンタクトするように指示した張本人だと聞いても無関係だと言えるかな」
 何の臆面もなく、俺たちを問題児呼ばわりした傲慢な教師は足を組み、そう答える。如月が何も言わないことから、あながち嘘でもないようだ。
 てっきり、友達の少ないうさ達を見かねた保険医辺りが依頼人だとばかり思っていたから、この不快さを体現したような男の言うがままに動かされていたとは。そのことを思うと多少頭に来るものがある。
「そうですか。先生は何の目的があってそんなことを?」
「言っても理解できないと思うがな。貴様、わたしが土曜日に行ったことを覚えているか?」
 何でも頭ごなしに否定する月読に苛立ちながらも、先日病院を訪れたことを思い出す。うさを尋ねてきた謎の人物。その心象風景を描いたうさのイラスト。頭の中で簡単なパズルが組みあがるような音がした。
「私の予想が当たっただろう。私は昨日の雨を予期していた。正確に言うなら、貴様らとテロリストが戦うことも。そうなることを分かっていたから、先手を打ったというわけだ」
 自信満々に言う月読。予期していただなんて、信じられるような話ではない。荒唐無稽、でたらめだとすぐさま言い返してやりたかったが、事実、雨が降ったことと、まだ公にはなっていないはずのテロリストの喧嘩のことを知っているという点から、反論できない。
 歯噛みする俺の様子を見ていた月読は意地の悪い笑みを見せ、今回の事件の概要、またそれに至るまでの経緯を詳細まで口にする。ところどころ曖昧な点こそあれ、全体で見ればほぼすべてを如実に言い当てているといっても過言ではなかった。
「……というわけだ。何故そんなことがわかるであるとか、不気味だというようなありきたりで意味のない質問に答えるつもりはない。ただ、一つ言っておきたいことがあるとすれば、これは予言や霊能力の類ではないということだ。言うならば、将棋やチェスで相手の思考を読んで、最善の手を打つことに似ている」
 右手にチェスの駒でも握っているかのように手を動かす月読。俺たちにはわからないことを吹きこんで混乱させて楽しんでいるようにも見えるが、その眼はまるで笑っていない。
「言っていることの意味がわからない。そもそも、俺の質問に答えていない」
「答えたところで理解する気があるのか?」
 ムキになって言い返したところを月読は鼻で笑い、俺の思考の裏を読んだ言葉を口にする。なんとも気味が悪く、気に食わない教師だ。こいつはハナからすべてを説明する気などないのだろう。
「如月、さっき言ってた怪文書というのは?」
 この鼻持ちならない教師と会話することを放棄し、如月に振る。しかし、反応したのはなぜか如月ではなく月読だった。
「如月生徒。これを返しておこう。結論から言うとこれは一連のテロ騒ぎとは似て非なるものだ。しかし、当分の間、一人で出歩くことは避けたほうがよいだろう。さて、そろそろ時間だ。私は忙しい」
 月読の手から如月に渡される新聞の切り抜きで作られた漢字だらけの怪文書。それを手渡すことだけが目的だったとでも言うように、帰る準備を始める月読。俺はそれを立ち上がって呼び止めた。
「ちょっと待て。納得いかない」
 一瞬だけ足を止める月読。表情は硬く、明らかに歓迎されてないことが分かる。今までの苛立ちからなんとか形になっていた敬語もどこかへ飛んでいってしまったが、それでも食い下がらずにはいられないほどに月読は謎を増やしていった。今聞かなければ、全てを聞き逃してしまう気がする。
「月読……先生は、どうしてそんな未来のことがわかったんだ? どうして、そんなことを知ってるんだ!」
 語尾に乗った感情は今まで感じたことのないような恐怖。気がついたときには月読の前に立ちはだかっていた。腕に付けたままだった点滴の針は外れ、シーツの上に転がっている。
 月読は少し考えるそぶりを見せた後、静かに答えた。
「未来はすべて過去の積み重ねからできている。何か大きな力が動く時、歴史も同時に動く。一見関係ないと思う物でも、それは何らかの作用によって作られた軌跡、もしくは結果に伴う残滓だ。その一つ一つを注意深く観察し、パズルのように組み合わせることによって、いくつかの結論が出る。神の意志を思い測ることは不可能だが、ある一つの目的をもって行動する生命体の行動を予期することはさほど難しくはないのだよ」
「なっ……」
 一字一句噛むこともなく言い終えた後、今まで見たことのないような嬉しそうな顔をする月読。新しいおもちゃを与えられた子供のような無邪気さがそこにあった。
「あのクソ学生の質問よりはよほど的を射た質問だった。代わりと言ってはなんだが、ヒントをやろう。一度しか言わないから、よく聞いておけ。お前たちは近々テロリストに狙われる。その前に月の欠片を集めておくことだ。”第五の季節”が来る前に」
 ではまたな。そう言い残すと月読はこちらの返事を待たずに病室を出て行った。ヒントとは到底思えない意味深な内容だったが、脳に直接流れ込んでくるような不可思議な感覚を体中に感じて、リノリウムの床に膝をつく。
「なんだったんだ……頭が痛い」
 右手で顔面を掴むようにしてうずくまる。比喩的な意味ではなく、脳の奥が熱されるような確かな痛みを感じていた。心配する周りの声も聞こえないほどに記憶が混乱している。
 何に動揺したのか自分でもわからず、デジャブのような、それでいて全く未来のことを身体のどこかが記憶しているような違和感。
「聖、大丈夫か? 顔色が……」
 心配そうに覗き込むのは如月。疲れがどっと出たみたいだ。俺は抜けてしまった点滴のことを思い出し、片足を引きずりながらベッドまで行き、ナースコールを押した。
「皆、今日はありがとな。俺は少し寝るよ。気をつけて帰ってくれ……痛ッ」
 俺はそうとだけみんなに告げると枕に頭を沈め、まぶたを閉じる。鳴り続ける警鐘のように頭痛は治まることを知らない。その内、それぞれが一言ずつ別れの言葉を残し、去っていく。俺のことを気遣うような言葉も、心配そうな視線も、何も頭に入ってこなかった。
 頭の中に渦巻いて離れない言葉。テロリスト。月の欠片。第五の季節。月読の残していった予言にうなされたまま、俺は看護士が病室に走ってくる音を聞いていた。




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