#09 少女VSモンスターペアレント
 この国は大小さまざまな問題を抱えている。それこそテロリストが出てくるほどに腐りきり、未来のない国だと皆が口を揃えて言うが、もっと身近な問題として危機感を覚えるのは、何といっても教育問題だ。俺自身も学校は憎むぐらいに嫌いで、教師や教育委員会、文科省にも実際に数えきれないほどの問題が起きているのだろう。
 しかし、ついさっき見かけたような、しかもこれからまた目撃することになった怪物のような学生を見ていると、教育に問題があるというよりも、教育以前の問題、つまり問題のある学生の家族の方にこそ大きな問題があるように感じる。
 人間の根幹を形作る過程でまともな教育が施されていないとすれば、悪くなることはあっても良くなることはまずない。俺がいい例だ。カエルの子はカエル、モンスターの子供はモンスター。鳶が鷹を生むことはあっても、それは極めて稀なケースとしか言いようがない。
 話を現実に戻そう。乗り換えのホームに移動する際に信じられない物を目撃した。
 最初はさっきの女子高生が性懲りも無く、またバカ騒ぎしているだけだと思ったのだが、今回は様子が違った。先ほどのケバケバしい女生徒の中に同じ高校の制服を来た男子生徒が混じっているのが見えたのだ。例の噂話の男子生徒かと思ったが、男子生徒は明らかに少女たちよりも背丈が小さく、髪も真っ黒。勉強はできそうだが、少なくともあの少女たちとつるむような人種ではないように見える。
 如月もただならぬ気配を感じたらしく、すぐさま走ってそちらに駆け寄る。聞こえてきた会話は日常生活にはそぐわないほど物騒で、聞けば聞くほどおぞましい内容だった。
「ほら、さっさとやれよ! 大したことないって」
「ムシャクシャしてんだよ。逆らったらどうなるか、分かってんだろうな?」
 ケラケラと笑いながら、小さい男子生徒を振り回す女子高生。何かを強要されているようだ。
「吾輩の辞書に不可能はないんでしょ? じゃあ、良いじゃん。やってみてよ。憂さ晴らしにさ」
「ちょこっと顔付けるだけじゃん。意外とイケメンになるかもよ?」
 少年は抵抗することなく、左右に振り回され、何度も頭を叩かれていた。なんであんなことをされながら、怒らないのか不思議だ。あれが彼なりの処世術なのだろうか。
 特急の通過を知らせるアナウンスが入る。この駅に特急は止まらないはずなので、先の少年少女があんなに線路側にいるのはおかしい。これ以上前に進んでは行けないことを示す黄色い線の向こう側に少年は立たされていた。それも、両腕を背中に組まされて。
「おい、何をやってる! 危ないぞ!!」
 俺が言うよりもわずかに早く如月が叫ぶ。しかし、少年は全く反応しない。あれほどの大声で聞こえていないはずはなかったが、為されるがままその場に立ち尽くしていた。
 かん高い電車の音が徐々に大きく聞こえて来る。その時、少年に向けられていた女子高生の眼が一斉に如月の方を向いた。そのまま、奇妙に笑った目をしたまま二人がかりで如月の腕をつかみ、少年を蹴り飛ばして、さっきまで少年がいたところに貼りつけるようにして如月を置いた。
「レオちゃんが情けないから、この説教女が代わってくれるってさ。あんなところで恥かかされて、アタシたち頭に来てるんだよね。だから、ちょっと詫び入れて欲しいんだわ」
 力尽くで抑え込まれ、身動きの取れない如月。電車の通過時刻までは既に一分を切っていた。如月は暴力の恐怖と闘いながら、唯一自由な口を使い、抵抗する。
「お前たち、自分が何をやってるか分かってるのか? こんなことをしても何も……」
 前の車両で痛くプライドを傷つけられたリーダー格の女は如月の口を首を絞めることで塞ぐ。そして、残酷な笑みを浮かべて言った。
「だーかーらー詫び入れろって言ってんの。そーね、今から来る特急にキスしなよ。そしたら許してあげる。まあ、イヤっていってもやるんだけど。それくらいしてもらわないとアタシたちの気が晴れないしー」
 首を絞められ、ゲホゲホと蒸せる如月。もはや、冗談やイジメの範囲を超えている。その時、俺の中の何かが音を立てて切れた。衝動に任せるまま、助走をつけ、リーダー格の女を殴る。手加減など欠片もなく、顔面を全力で。
「ギャッ!」
 雑魚モンスターがやられたときのような泣き声をあげて、女が伏せる。鼻が折れて鼻血が出ていたが、意識は辛うじてあるようだ。その方が都合がいい。俺は倒れた女のやけに長く曲がった髪を掴んで起こし、無理やりに立たせる。立たせたのは黄色いラインの向こう側……如月がいるのと同じデッドゾーンだ。
 女は痛みに顔を抑えながらも、怒りを露わにして無謀にも俺に突っかかって来る。
「痛ったー……誰だよ、お前。女を殴るなんて」
「女だったのか。気づかなかった。それと俺はお前じゃなくて、霜月。馴れ馴れしくするな。バカがうつる」
 ああ、この女が付けている香水の臭いが鼻につく。臭い。この生ゴミを早く処理したい。その方がずっと社会のためになる。
「やめろよ。お前、頭おかしいんじゃねーの? こんなことをしてどうなるか……ぐほっ」
 最後まで言い終わる前にバカ女の腹を殴る。口から何か汚らしいものが飛び出して、服に付いた。何をしても迷惑なやつだ。女は暴れているが、地に足は付いていないので、大した抵抗にはならない。
「ゴミが喋るな。馴れ馴れしいんだよ。あと、そこの男。そう、お前だ。五秒以内に如月を助けろ。出来なかったら殺す」
 しかし、レオと呼ばれていた少年は先ほどと全く変わった様子がなく、人形のように何の反応も示さない。どうやら、殺されたいらしい。本当は今すぐにでも実行したいが、右手のゴミが邪魔だった。さっさと処理することにしよう。
「なあ、お前。さっき面白いこと言ってたよな。特急にキスするんだろ。手本を見せてみろ」
「え、何言ってんだよ。出来る訳ないだろ!?」
「ちょこっと顔付けるだけなんだろ。御託はいいからやれよ。意外と可愛くなるかもしれないぞ」
 女の顔が蒼白に変わる。あと数秒で電車が通る。俺が本気で言っているのにようやく気付いたリーダー格の女が、手下どもに如月を解放するように命じる。少年と同じく投げ出されるようにして、如月がデッドゾーンから抜け出る。
「ほら、あんたの女も解放してやったんだから、放せよ。早くしないと電車が……」
「黙れよ。誰がお前にそんなこと頼んだんだ?」
「え……」
 絶望の表情。その刹那、特急電車が俺の目の前を通過した。重量のあるものが高速で移動するときに生じる風と音を感じながらも、俺は女の髪を掴んだまま、通り過ぎていく電車を凝視していた。電車が女の鼻先数センチというところを猛スピードで通過し、何事もなかったかのように次の駅へと走って行く。
「悪い。初めてなもんで、距離感が分からなかった。リテイクだ」
 目一杯の皮肉を込めて言うが、女は何も言い返せずにその場にへたり込み、目を見開いたまま動かなくなった。俺は興味の無くなったそれを放置し、如月の方へと歩み寄る。すすり泣くような声とかすかなアンモニア臭がしたような気がしたが、振り返る気はなかった。あの程度で済んだことを感謝しろ。
「大丈夫か?」
 何事もなかったかのように如月に手を差し伸べるが、如月はわざわざ自分で立ち上がり、無言で埃を払う。そのままぴしゃりと頬を張られた。
「馬鹿者。やり過ぎだ。私も少し怖かったぞ」
 さっきの名残かゲホゲホと咳をする如月。張られた頬はジンジンと痛んだが、何故かさっきまでの煮えたぎるような怒りがすっと消えていった。俺は頬をさするふりをしながら、弁解する。
「昔から容赦するとか、手加減するとか……そういうのが苦手なんだ。ついカッとなって」
「礼は言わん。気をつけろ」
 確かにやり過ぎた感は否めない。だが、それを言えばあの女子高生だってそうではないか。如月自身も危うく酷い目に遭わされそうだったと言うのに、如月本人は大して気にしていないようだ。
「そこの男子生徒、怪我はないか?」
「……別に」
 如月と並んで転がされていた男子生徒はひと際小さい声でそれだけを言い、礼も言わずについさっき来た普通車へと去って行った。さっきの女子高生たちはリーダーを失って右往左往していたが、少年はあえてそれを避けるようにして一番奥の車両まで歩いて行く。
「変な奴だな」
「同感だ。それより、私たちも乗らないと行ってしまうぞ」
 初めて意見があったが、別に嬉しくは無い。如月もあの少年に対して何か言いたいことがあるようだったが、今は何より電車に乗ることが先決だ。次の電車でも良かったが、さっきの事件を聞きつけた駅員が来ると面倒なので、閉まるドアに二人並んで飛び乗った。
*
 目的の駅で降りた後、南高の入口まで歩く。南高は小学校と隣接されており、駅から徒歩五分で行ける場所にある。道はほぼ一本道で南校の生徒も登校途中ということもあって、俺がいなくても迷わず行くことができる……そう思っていたのだが、如月はわざわざ遠い逆の改札から出ようとし、俺が正しい改札に案内した後も迷わず南校と逆方向に歩きだそうとしたので、予想外に苦労した。
 もし、俺が来ていなかったらどうするつもりだったのか。方向音痴なんてレベルではない特異な方向感覚の持ち主らしい。
「あれが南高か。存外に近いな」
 俺の心配を余所に如月は暢気にそう言った。流石にここまで来れば迷うことも無いと思うが、そもそも何故如月がわざわざ学校を欠席してまで、南高に行こうとしているのかをまだ聞いていないことを思い出した。道案内だけでいいなら遅刻にすればいいのに、わざわざ欠席にされたということは、まだ何か俺に用があるのかもしれない。
「なぁ、如月。聞き忘れてたが南高に何の用があるんだ」
「大したことはない。知り合いの教師がとある問題に巻き込まれているらしく、相談に乗って欲しいそうだ」
 如月は歩きながら答える。大したことはないと言っているのが逆に俺の不安をかきたてる。
「具体的な内容は聞いてないのか?」
「プライバシーの権利がどうとかで言えないそうだ。だから、実際に会って欲しい、とそういうわけだ」
 何やらとても面倒な気配がしてきた。南高の校門に着くと、似たような制服に身を包んだ生徒たちに紛れてどう見ても高校生には思えないリクルートスーツのような服に身を包んだ先生らしき女性と、到底先生には見えない派手な格好をした女性が口論していた。いや、口論と言うよりも先生の方が一方的に叱られているような様子だ。派手な女の方にはさっき駅で居合わせたガキ……レオと呼ばれていた少年が縮こまるようにして、寄り添っている。
 親の仇でも見つけたかのようにして先生らしき女をにらみつけていた派手女は開口一番、周囲の目も気にせずに教師らしき人を罵った。
「ふざけないでください! あなたそれでも教師ですか? 家の麗音覇瑠斗三世れおんはるとさんせいちゃんが危ない目に遭ったというのに、今頃のこのこ現れて、知らなかったですって!? 生徒の安全を守るのも教師の役目でしょ? どういうつもりなんですか!?」
「は、はいぃ。ええ、全くもって仰るとおりです……申し訳ありません」
 平に謝る教師っぽい女性は恐縮しきってしまっている。そこに付けこむようにして派手な女は訴えてやるだの、教師辞めろだの喚いていたが、突然二人の間に如月が割って入って行った。
「安西先生。遅ればせながら参上しました。ご無沙汰してます」
「あすかちゃん!」
 安西と呼ばれた教師は今にも泣き出しそうな顔で如月をいきなり抱き締めた。突然の行動に派手女と俺は一瞬言葉を失うが、俺が何か言うよりも早く、騒音女が割りこまれたことに対して烈火のごとく怒りだした。
「ちょっとあんた誰なのよ! 今、大事な話をしてるんだから邪魔しないで!」
 今にも掴みかかりそうな剣幕だったが、如月は全く動じた様子もなく、女教師に抱きつかれたまま首だけの動作でぺこりとお辞儀する。
「大変失礼しました。私は聖凛高校の如月あすかと申します。安西先生に呼ばれてここに参上した次第です。このような場所で立ち話もなんですし、もう少し落ち着いた場所でお話しませんか?」
 何ともまあ、おかしな光景である。女教師は涙で顔をくしゃくしゃにしながら、如月になだめられており、どちらが教師でどちらが高校生なのか分からない。
 怒っていた女は突然現れた闖入者に釈然としない顔をしていたが、初めからとことん話し合うつもりだったらしく、移動することには素直に同意した。もはや 疑いようのないことだが、どうやらこの麗音覇瑠斗三世の保護者らしき女の一件で如月とついでに俺が呼ばれたようだ。
「さっさと案内してちょうだい!」
 恐ろしいまでに高飛車な態度で喚き散らす女をつれて、高校の応接間まで安西先生が先頭だって歩く。如月は部外者である俺のことを安西先生に説明し、なぜ か俺まで巻き込まれる形になった。もはやここまで来てしまっては逃れようもない。道中で安西先生に代わって如月から事情を聴く。
「察するに、あの保護者に無理な要求をされて大変迷惑しているようだ」
「今流行りのモンスターペアレントってやつか」
 そこまで言ったところで如月は俺の口に手を当て、律する。
「滅多な事を言うな。火に油を注ぐことになる」
 なるほど、そうか。誰だってモンスターなんて言われて気分を害さない訳がない。たとえそれがまぎれもない事実だとしてもだ。
 安西先生は保護者の女に何度もせっつかれ、言葉の暴力にさらされながらも長い廊下を歩き切り、ようやく応接間にたどり着く。派手な保護者とレオは指示さ れるよりも早く勝手にソファーに腰掛け、教師と俺たちは応接用の机を挟んで予備のパイプ椅子に座る。
 配置としては如月と安西、保護者とレオが向かい合うようにして座り、何故か俺だけが四人の様子を一挙に見れる横にコの字状に座らされた。どういう意味かはわからないが、嫌な予感しかしない。
 気まずい沈黙にすすり泣く安西先生が鼻をすする音だけが響く。最初に沈黙を破ったのは如月だった。
「失礼、お名前を伺ってもよろしいですか?」
「水無月麗音覇瑠斗三世ちゃんの母、水無月騒子さわこよ」
「ありがとうございます。それでは水無月さん。先ほど訴えるとか何とか仰っていたと記憶しておりますが……」
「だから何よ。私は本気よ」
 今にも激昂しそうな水無月をなだめながら、如月が続けて言う。
「実際に訴えるとなると時間もお金もかかります。ですから、ここで疑似的に裁判を行ってはどうでしょう?」
「はあ、どういう意味よ? 私をバカにしているの?」
 本当にどういう意味だよ。当の安西先生も状況が分からず、戸惑っている。しかし、如月はそれを無視してさらに勝手に話を進める。
「簡単にまとめますと被害に遭ったのが水無月さんの息子さん。それを保護してる水無月さんが検事、そして被告が安西先生、それを弁護するのが私です。そこの男はこの件とは全く関わり合いのない第三者。まぁ、裁判官のようなところです」
「ちょっと待て、聞いてないぞ」
 俺の抗議に対して、如月はしれっとした態度で即答した。
「言って無いからな。お前は何もしなくていいから、座って私たちの話を聞いていればいい。意見を求められたら、お前の正義に基づいて答えること。一人しかいない裁判員だと思えばいい」
「……」
 むちゃくちゃすぎて、何を言いたいか忘れてしまった。水無月の母もまるで納得していないようだ。当然と言えば当然だが。
「ちょっと、勝手に話を進めないでしょ! 見たところ、あなたもこの男子生徒もただの学生じゃない。私がそんなんで納得する……」
「だから、納得するまで話し合うのですよ、お母様。もちろん、これは疑似的なものですから、負けた方が悪ですとか罪状は何ですとかそういったものはありませんし、何よりも本来話し合わなければならないのは安西先生とあなたではなく、安西先生と息子さんではありませんか?」
 その一言に反応したのは誰でも無く、当人であるレオだった。レオは顔を伏せ、さっきよりも余計に縮こまる、穴があったら入りたい。そんな気持ちなんだろ う。それを見た母親はどす黒い感情をむき出しにして如月を睨むが、全くの正論に返す言葉もなく、しぶしぶ疑似裁判を認める形になった。
 それを聞いた如月は満足そうに頷き、裁判の始まりを宣言する。
「それでは第一回南高学級裁判を始めます。おい、聖。ハンマー」
 なんじゃそりゃ。俺は何もしなくていいんじゃなかったのか。ヤケになった俺はそこに置いてあった来客用の湯飲みを手に取り、木製のテーブルに適度に加減をしてそれを叩きつける。木と陶器が立てる間抜けな音で説教女VSモンスターペアレントの裁判が始まった。

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