#08 少女VS女子高生
 こんな時間に眼を覚ましたのは何日ぶりだろうか。午前六時十分。起きたというよりは全く眠れなかったんだが、朝日はすでに部屋を明るく照らしており、今から寝るという気にはなれそうもない。
 如月は朝早い家に両親の眼を避けて、家に帰った。よほど父親に会うのが憂鬱なのか、元気がなかったが、他に行くところもないのだろう。完全には乾ききってない制服を着て出て行った。スカートのポケットに携帯とスタンガンだけを入れてという異様な風貌で。
 如月が帰った後、まずは昨日入れなかったシャワーで汗を流した。今日も平日で学校はあるが、行く気にはなれなかった。濡れた髪を適当にタオルで拭き、リビングのソファーに腰掛ける。両親はまだ起きておらず、陽光と朝の空気だけがある環境は新鮮でリビングに舞う塵すらも輝いて見えた。たまには早起きも悪くはない。
 風呂場からの帰りがけに冷蔵庫から取ってきたミネラルウォーターを口に付け、テレビのリモコンを操作する。昨日の事件がニュースになっていないか確認するためだ。一通りのニュース番組を回し、テロの文字を探す。回したチャンネルのほぼすべてにその見出しがあった。
「議事堂に爆破予告。テロリスト二人を逮捕」
 どの番組でも似たような特集をやっていたので、あえて専門家でも何でもないコメンテーターが喋ってない番組を選んで見ることにした。しかし、予想していたのとは違い、如月が誘拐されたことについては何も触れておらず、テロリスト二人の顔写真と実年齢、本名などが出ているだけだった。当然俺の名前も出ていない。
 これが情報操作って奴かと釈然としないまま、ニュースに耳を傾ける。どうやら、警察の独力でテロリスト二人を捜査、逮捕したらしい。テロリストの二人は硬く口をつぐんでおり、法廷にも出席するつもりはないようだ。
 といっても、実際は恐喝と武器の所持くらいだし、そこまで重い罪状でもないのかもしれない。ほかにも仲間が居るようなことを匂わせていたから、これからも度々ニュースを賑わせるのだろうか。
 警察も総力を挙げて組織の捜査、摘発するらしいが、事前になんとかできるくらいなら如月が攫われることもなかっただろう。そう言えば、テロリストの拳銃を持って帰ってきてしまったが、これを届け出る時も銃刀法違反が適応されるのだろうか。
 別にその気はほとんどなかったが、楽弥と二人で話したように、警察のメンツを叩きつぶしてやったような気になった。これ以上の進展はなさそうなので、テレビのリモコンに手を伸ばそうとしたところで、後ろから舌打ちが聞こえてきた。
「聖、随分と早いな。こんな下らないニュースじゃなく、もっとほら……芸能人が熱愛報道されたとかそういうのが見たいんだが」
 いつの間にか父が起きてきていた。そっちの方がよっぽど下らなくて、どうでもいいニュースじゃないかと思いつつも、話すのも嫌だったので黙ってリモコンを手渡し、立ち上がる。父はすでに身なりを整え、仕事に行く準備を済ませていた。この父親は見た目こそ普通だが、言ってることは例外なくおかしい。
「聖、テロに興味があるのか?」
「いや、テレビをつけたらやってただけ」
「テロは良いぞ。腐敗した政治や停滞した経済なんかよりも余程建設的で生きた人間のやることだ」
 下らないと自分で言っていた癖にどう言う風の吹きまわしなんだ。戦時なら間違いなく非国民として非難されるだろう。俺はこれ以上、何も話すつもりはないのでペットボトルをだけを持って、自分の部屋に戻ることにする。父親はいつものことなので何も言わず、それを咎めることもしなかった。
 部屋に戻ると携帯に着信が一件入っていた。嫌な予感しかしない。楽弥がこの時間に起きてる筈もないから、メールしてくるとしたら一人だ。
「聖、公務だ。市内の南高校に行く。付き合え」
 予想通り如月からのメールだった。一体、このメールはどういう意味なんだと問いただしたくなる。誰がいつ、あいつの自己満足に付き合うと言ったんだ。それとも新手のデートの誘いなんだろうか。それにしても時間も何も書いていない。しかも、命令形で終わるという徹底ぶりときている。
 そのまま携帯を閉じてしまおうとも思ったが、後々に面倒なことをになるのを考えて「学校がある」ともっともらしいことを書いて、メールを返す。返事はすぐに来た。
「公欠だとお前の高校に通達しておいた。市営地下鉄の四季南駅の北改札に午前八時に来ること。そうしたら、今朝のことは大目に見る」
 別に多めに見てもらわなくても全然かまわないんだが。しかも朝八時にわざわざ学校を休ませてまで寝ていない俺を呼びつける理由はなんだ。そもそも、俺の意思はどこに行ったんだ?
 寝不足でよく回らない頭を悩ませながら、何度もメールを読む。何度読んでも文面は変わりそうもない。南高には個人的な用事で何度か行ったことがあるが、少なくとも俺の高校よりは二つ以上ランクが上の高校だ。立地もよくて人気は高いらしいが、あまり良い噂は聞かない。そして何よりただ面倒だからという理由で行きたくなかった。
「なんで俺が……」
 そう呟きながら携帯を閉じ、ようやく解放された自分のベッドに横たわる。自分じゃ無い誰かの匂いがした。メールは返していない。でも、なんとなく行くような気がしていた。そうだ、今から少しだけ仮眠して、起きられたら行こう。万に一つもないが、そうなったら観念することにしよう。
 そんなことを考えながら目を閉じる。知らない匂いのするベッドの中、あっという間に俺は深い眠りに落ちた。
*
 午前八時十五分。如月に言われた通り、俺は地下鉄の改札にいた。
「十五分遅刻だぞ。聖、社会のルールを守れない人間は最低だ」
 ようやく寝言った人間を叩き起こすのは人として最低じゃないのかと問いただしたくなるが、ここで余計なことを言うともっと面倒なことになりそうなのでここはぐっとこらえる。俺も我慢強くなったものだ。
 ベッドに伏せた俺は当然の如く時間通りに起きられなかった。初めから起きる気などさらさらなかったのだから当り前なのだが、鬼のような如月のモーニングコール攻撃を食らい、寝癖もヨレた制服もそのままにして、駅まで全力疾走させられた。今までにいろいろなことがあったが、ここまで腹の立つイジメは初めてかもしれない。
 一方、如月はと言うと身なりをきちんと整えており、昨日のとは少しデザインの違う高校指定の制服を着ていた。多分替えの制服か、祭事用の制服を着て来たんだろう。昨日誘拐されたばかりで独り歩きなど、尋常な精神ではできることじゃないとある意味感心する。
「約束の時間を押している。さっさと行くぞ」
「ちょっと待て。聞きたいことがある」
 無理やり引っ張っていこうとする如月は一時手を止めて、なんだと聞き返す。さも当然のように言っているが、突っ込みどころが多すぎて何処から突っ込んで言いか困ってる俺の心情がどうして理解できないのかをまず問い詰めたい。
「なんで、俺が同行しなきゃならない。一人で行けばいいだろ」
 至極当然の疑問だと思う。しかし、如月に常識は通用しないことは身をもって知っている。
「お前以外に連絡を取れる人間がいなかった。私は南高校に行ったことがないのだ。それに……」
 一度言葉を切り、目を逸らす如月。道案内のためだけに連れまわされるのかと抗議する前にやっと如月が口を開く。
「聖なら信用できるし、その……頼りになりそうだったから」
 突然見せたさっきまでとは違う表情に面食らい、その内心を悟られないように如月の左腕を軽く掴んで、言った。
「さっさと行くぞ。道案内くらいしてやる。友達のいないお前のために特別に」
「友達がいないは余計だ!」
 事実だろと言いたいところを何とか飲みこみ、電子マネーを使って自動改札を抜ける。定期の有効範囲外だった如月は派手にエラー音を鳴らした後、慌てて切符を買いに行った。俺を待ってる間に買っていれば良かったのに、如月はそういうところがどこか抜けている。
「二番線で駅四つ。そこで乗り換えて三つだ。快速、特急は止まらないから乗るなよ」
 ホームに止まっていた特急車両に乗ろうとしていた如月を引きとめながら言う。先に言えと如月は怒鳴ったが、どう見ても八つ当たりなのでさらりと受け流す。どうやらかなり恥ずかしかったらしく、頬が赤く染まっていた。他にも何か言っていたようだが、電車の音でよく聞こえなかった。
 電車が走り去った後、見たことのある制服の高校生が階段を降りてきた。男女ともにブレザーで指定の通夜鞄を下げた数人の女子。今まさに行こうとしている南高の生徒だ。南高は進学校らしく校則が厳しいことで有名だったが、女生徒は全員思い思いの色に髪を染めており、化粧もバッチリ決めていた。また、話し声も相当やかましく、数メートル離れた俺たちにさえ内容がはっきり聞こえてきた。
「アイツさー、超ウザいんだけど、ぶっちゃけいらないからユカにあげよっか?」
「アタシだってイラネーよ。付き合うメリットってあんの? ブランドのバック買ってくれるとか」
 そこで爆笑が巻き起こる。何が可笑しいのか全く分からないが、どうやらクラスの男子の話をしているようだ。あんな珍獣のような外見でもどこかのモノ好きには需要があるらしい。人間分からないものだ。
「聖。何だ、あれは」
「南高の生徒だろう。それがどうかしたか?」
「迷惑だ。注意してくる」
 厳しい顔をしてつかつかと歩き出す如月の襟首を掴んで止める。ああいうのを見ると飛んで火にいるなんとやら……つまりは予想通りの反応だったので、すぐに対応できた。
「何をする」
「あんなの見て見ぬ振りすればいいだろ。台風みたいなものだ。それにもうすぐ電車が来る。説教してる時間はないぞ」
 点滅する電光掲示板には電車が来ることを知らせる表示があり、駅内のアナウンスでもそう告げている。厄介事に首を突っ込んでいる時間はない。しかし、如月の言い分はこうだった。
「あの恥知らずどもと同じ車両に乗ればよい。どうせ、目的地は同じなんだから、たっぷり話し合えるだろう」
 一緒に乗るつもりかよ。誰もが避けて通る台風に頭から突っ込んで、話をつけるという。いや、話し合うと言ったが、実際には一方的に喋るつもりなんだろうが。目をつけられた少女たちは不幸だが、自業自得でもある。
 電車が到着し、ドアが開く。女子高生たちは並んで居る人や降りて来た乗客を無視して、我先にと車内に侵入していった。如月と仕方なく俺も同じ車両に乗り 込み、俺は吊り革に、如月は金属の棒へとそれぞれ掴まった。アナウンスが入り、電車のドアが閉まる。如月は電車が走り出すのとほぼ同時に歩きだそうとし、 急な加速でバランスを崩したところを何とか俺が左手で支える。
「すまない。吊り革が高すぎて届かないんだ」
「落ちつけよ。いいか、出来るだけ焦らず、怒らず、穏便に済ませるんだ」
「無理だ。あれを見ろ」
 如月が指差したのは俺たちがいるのとは逆方向の扉。あろうことかさっきのうるさい女子高生が輪になって大声で話していた。さっきの話の続きか、それとも別の話かはわからないが、品の無い笑い声は不快でしか無く、周囲の人も明らかに気にして近づかない。
 そして何より驚いたのはもともと濃かった化粧をさらに上塗りしていることではなく、多くの人が何処を歩いたかもわからないような土足で入る床に、堂々と座り込んでいることだった。反対側のドアの上にはこちら側のドアが開きますと丁寧に表示されているのにである。これは如月じゃなくても正気を疑わざるを得ない。
「そこの女学生。話がある」
 決して大きな声ではなかったが、一瞬電車内が凍てつき、あり得ないことを目撃してしまったかのように周囲の人は目を丸くしている。俺は初めてのことでは 無いので客観的に見ていられるが、如月と出くわしたのが今日初めてだったとしたら、同じ反応をしていたに違いない。しかし、そこは怖いもの知らずの女子高生。聞いていなかったのかすぐに元のバカ話だかチャネリングだかを再開する。
 だがそれを見て、黙っていられるような如月ではない。
「聞いているのか。南高の女学生」
「あ? なんだよ、お前」
 流石に二度目とあって無視しきれなくなったのか、女子グループのリーダー格らしき女が反応する。周囲の人間は飛び火を恐れて完全に傍観者を決め込むつもりのようだ。それそうだ。俺もそうするつもりだし。
 そんな俺たちとは魔逆のことをするのが如月である。如月は毅然とした態度で言った。
「聖凛高校二年、如月あすかだ。お前たちの行動は目に余る」
 周囲の大人たちよりも遥かに堂に入った物言いである。俺に支えられてなければもっと絵になる光景だと思うのだが、動いている電車の中で手放しで放っておくのは危なすぎる。
「聖凛? 中学生の間違いでしょ?」
 リーダー格の秀逸なジョークで女子グループだけを中心にどっと笑いが起こる。侮辱された如月はすぐに烈火のごとく叫びだすかと思ったが、今回は違った。しかし、掴んだ腕の震えから相当怒っているのは伝わってくる。
「私の身分などどうでもいい。問題はお前たちだ。今から五秒以内に立て。乗車客の迷惑になる」
 到着の音を知らせるアナウンスが聞こえてくる。しかし、少女たちは微動だにしない。電車のブレーキ音が聞こえてきても動く様子はなかった。ドアが開き、乗り込もうとした人たちが困惑していたが、すぐにそそくさと別の車両に移っていった。
 ドアが完全に閉まる前に眉を吊り上げたリーダー格の女が喚き始める。
「お前、何の権限があってアタシたちに命令してんだよ。あたしたちがここいてやってるから他の乗客が広いスペースでいられるんでしょ? 感謝して欲しいくらいなんだけど」
 それを聞いた何人かの乗客が不快感をあらわにして別の車両へ移る。確かに車両には人が減ったが、感謝などしているはずはない。開き直った少女たちとは裏腹に電車のドアは何事もなかったかのように発車と共に閉まる。新たに表示されるのはこちらとは反対側のドアが開きますという表示。邪魔が入ることがなく なったと同時に、如月の反撃が始まった。
「権限とか何とか言っていたが……なるほど、私にはお前たちに命令する権利などない。だが、それならばお前たちは何の権利があってこの公共の場を占拠している。ここはお前たちの家か? 表札も玄関も無いようだが、そうならば大人しく引き下がろう。だが、もしそうで無いのなら迷惑だ。不快にこそ成るが、感謝などする筈も無い。立派な不法占 拠で警察を呼びたいくらいだ。大体、お前たちの身なりはなんだ。言葉使いはなんだ。南高ではそういう話し方をするように教育されているのか。もし、そうならすぐにでも転校した方がいい。それとも義務教育からやり直した方がいいのか……そうだ、私が嘆願書を書いてやろう。南小なんてどうだ? 厳格な校長と目の前に南高が見える好立地だ」
 一時の沈黙。ふいに乗客の一人が噴き出す。それを皮切りにつられた他の大人たちも盛大に笑いだした。俺は平静を装い続けるつもりだったが最後の下りがあまりにも面白く、周りの大人たちと一緒に笑ってしまった。中学生扱いされたささやかな報復のつもりだろう。
 当の女子高生たちはあんぐりと口を広げ、如月を見て居る。何か言いたいことがあるのかと思ったが、返すべき言葉が見つからなかったらしく、奥歯を噛みしめて立ち上がった。他の女子高生たちも笑われたことにか、自分が取っていた態度に対してか赤面してしぶしぶ立ち上がる。
「覚えてろ……!」
 いかにも悪者が吐きそうなセリフだったので、もう一度噴き出しそうになる。しかし、如月はどこ吹く風で、
「スカートが汚れているぞ。顔より先に身なりを綺麗にしたらどうだ?」
とまでいう始末。本気で言ってるのだろうが、リーダー格の女にとっては侮辱、他の乗客に対しては冗談にしか聞こえなかっただろう。なぜなら俺も乗客の一人なのだから間違いない。
 その後、さっきのが嘘のように黙りこくった女子高生は気まずそうに四つ目の乗り換え駅で降りて行った。ようやくあの説教女から逃げられると思ったのなら、甘い。残念ながら俺たちもこの電車で乗り換えるのだ。
 電車の降り際、バランスを保つために掴んでいた如月の腕を離すと、何を思ったのか如月が手を握ってきた。電車の音にかき消されそうなほど小さな声で一言。
「怖かった……」
 握られた手から弱々しい震えが伝わって来る。さっきは怒りにうちふるえているのかと思ったが、本当は如月自身が恐怖と闘っている震えだったのだ。そんなに怖いなら、やらなきゃいいのに。そう言う代わりにこう言った。
「痛快だったぞ。久々に笑わせてもらった」
「あ、当たり前のことをしたまでだ。乗り換えに送れるぞ」
 逆方向に歩いていこうとする如月を慣れた動作で行くべき方向に誘導してやる。口ではあんなことを言っているが、頬を赤く染め声は少し上擦っていた。初めは嫌々だったこの付き添いも、如月のあんな一面も見れたし、別に行ってやってもいいかという気分になっていた。
 ……あの女子高生たちと再開するまでは。


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