#06 少女VS恐怖
 如月あすかこと、あの説教女の居場所は割とすぐに見当がついた。俺の探知能力や勘といったものが特別鋭かった訳ではない。楽弥による情報がすべてを物語っていた。
 楽弥は彼女の行動パターンから近隣住民からの聞き込みなどを常人からは考えられないペースで行っており、それに加えて警察無線の傍受を駆使していとも簡単にテロリストの根城を割り出したのだった。
 そもそも、どうやって彼女の行動パターンを分析したのかすらも、俺には見当がつかないが、あまり人気のない廃ビル街まで辿り着いた際に、現地に赴いてすらいない楽弥が正確にビルの配置を言い当て、しかも候補地を三つほどまでに絞っていたときは、楽弥は衛星か何かを自由に使える身分なのではないかと疑ったほどだ。
「どのビルも鍵や鎖で厳重に封鎖してある……が、このビルの鎖は錆の感じからして、明らかに誰かが動かした形跡がある」
 楽弥へ繋ぎっ放しにしていた携帯電話から連絡を入れる。電話口からさすがにそこまで細かいことは推測できないから、聖ちゃんは頼りになるぜと軽口が響いた。
 ビル内に取り敢えず侵入することを伝え、戦闘になりそうならこちらから連絡のメールを送ると言ったのを最後に電話を切る。耳を離した電話口から楽弥なりの激励の言葉が聞こえてきた。
 さて、どうしたことか。煙草を吸いたい欲求にかられるが、無視して大きく深呼吸する。ビルの外観を仰ぎ見る。こんな僻地に立ってしまったために、大して噂にもなる前に潰れてしまったカラオケ屋の跡地というのがこのビルの経歴のようだった。特筆することもそれくらいしかなく、あとはまわりに在る灰色の塔とそう変わりない。
 侵入する前に自分の装備を確認する。手持ちは携帯電話、護身用にしては少し大きいナイフを一振り。そのまま持っていては警察に咎められるではすまない代物では在るが、ある程度の重量がないと手に馴染まないのでこれを愛用している。よく手入れされた刃が自分を傷つけないように専用の鞘付きだ。学生鞄は邪魔になると踏んだので楽弥の元に預けてきた。
 俺はすぐにでも対応できるようにベルトに挟み、安全用のボタンを外す。戦闘ではその一瞬が命取りになる。他に武器はないが、これ以上の武器は機動力の関係で必要ない。
 元来、こんな武器なんてものはこの監視された法治国家の中では全く必要ないはずなのだ。だが、しかし相手はテロリスト集団。いくらなんでもこの程度の装備は保険として必要になると判断する。
 死ぬ覚悟も出来た。さて、行くか。と思った矢先に携帯が震える。楽弥からのメール。文面に目を通し、さらに集中力が増す結果となった。
「警察があすかチャンの危険を顧みず強行する模様。まだ場所は特定できてないハズだけど、時間の問題かも」
 焦りと苛立ちを集中力に注ぎ込み、蓋をする。血の凍るような、高校での事件が甦ってくる。あのとき俺は一度死んだ。だから別にもう一度くらい死地に行こうと俺の精神は揺るがない。
 音がしないように錆びた鎖を退ける。元は頑丈な南京錠が取り付けられていたようだが、完全に破壊されたそれは役割を果たさず、形だけでくっついているだけだった。
 俺は鍵を地面に置き、気付かれないように、それでいて堂々と正面から突入する。足の裏に全意識を集中して、忍び込む。誰もいないはずの場所に、明らかな人の気配。本来レジや受付があったであろうカウンターにはコンビニ袋やゴミが散乱しており、ごく近くにあるカラオケルームの一室からは扉が取り外されていた。
「あなたを人質に取ってる限り、警察は動かないわぁ。私たちの目的は身代金じゃあないからね。愛娘と欲の皮の突っ張った政治屋ども。どちらの命が重いかしら」
 如月のではない女の声。ところどころ声のイントネーションに特徴がある。どうやら誰かと話しているようだ。潜んだまま、耳を澄まし、機をうかがう。
「警察は動く。私一人の命ぐらいで政府の要人数名の命を差し出すはずがない」
 今度はあの女の声だ。だが、いつものような溌剌としたうっとおしさはない。どこか、妙に硬く怯えた声だ。恐らくは監禁されているくらいだから、縄で縛られ凶器でもちらつかされているのだろうと推測できる。
 今にも泣き出しそうな声で強がった如月を大きな声で嘲笑う女の声。ほんの僅かだけ姿が見えたが、なるほど派手な格好だ。シャープに見える体型はただの痩身というよりは引き締まった筋肉を連想させる。恐らくリーダー格だろう。食物の散らかり具合から見るに一人ではないと判断する。
 女の哄笑がふいに止まり、何かが壁にぶつかるような大きな音がした。
「我が子が大切でない親などどこにいる! そんなこともわからないならあんたは今この場で殺してやるよ、見せしめにね。馬鹿は痛い目見ないとわからないんだ! 大体、あんな老害どもをブチ殺したところで誰が悲しむんだ? 大方国民たちは喜ぶだろうよ。テロリスト万歳ってな具合でな! あいつらさえ、あいつらさえいなければ……」
 支離滅裂なことを叫びながら、そこら中に当り散らす女。カチリという聞きなれない金属音がして、如月が一瞬怯えた声を出した。空気の変容。安全装置のはずされた銃。まさかとは思ったが、窺い見た女ボスの表情はなく、ただの無機物を見る目に変わっていた。
 機を見計らっていたが、それどころではなくなった。あらかじめ用意していたGOサインを示すメールの送信ボタンだけを押し、返事を待たずして正面から突入する。
 隠れていたドアを背に地面を蹴る。完全には見えていなかった部屋の内部が見えてくる。敵は目下二人。異常な剣幕で銃を持った女ボスとその手下らしき作業着の男。二対一では分が悪い。まずは男に焦点を絞る。部屋の構造上、兆弾を恐れ銃を乱射されることはないと踏んだ上での判断。男のほうも拳銃を持ってる可能性は在るが、今は考えない。隙を突く、その利点と直感のみが頼りだ。
 ありったけの脚力で瞬時に男との距離を詰める。驚きと怯えの入り混じった表情。状況を把握される前に、わき腹めがけて拳を突き出す。
「……ぐッ」
 言葉を吐き出させる前にめり込む感触。突進からの全体重を込めた一撃はアバラを砕き、吐きかけた言葉を声にならない苦鳴へと変える。さらに体勢を崩した男の顎に掌底。連続して白目をむき、膝を突いたところでみぞおちへと靴のつま先を刺し込む。浮いた身体は女ボスとのちょうど良い盾になった。
 女は不測の事態ながらも頭を張るだけあって、身内を盾にされながらも構えを崩さない。発砲こそないものの、少しでも隙があればそこを撃たれる可能性はある。胸や頭に当たれば即死。腕や足に当たったとしても、即行動不能になる。
 あくまで、現状は有利だと判断し、最悪の状態に陥らないための先手を打つ。息を吐き出しながら、ベルトのナイフに手をやり、抜き身の刃を二本指で挟んで、女ボス目掛けて投擲する。回転しながら飛んでいった刃は女ボスを掠めることもなく、空を切る。
 しかし、それだけの隙があれば十分だ。呼吸を十分に整える間もなく、無様に仰向けになって盾としての役割を果たさなくなった男の顔面を踏み台にして跳躍する。拳銃を使用できないほどの至近距離まで肉薄することが出来れば、こちらが有利だ。
 女ボスが何か言いかけるが、聞く耳はないし、そんな余裕を与えるほど甘くない。足の裏に何かやわらかいものが潰れる感触。無視して、手刀を繰り出し、女ボスの利き手を薙ぐ。ほんの僅かにそれた銃から飛び出した銃弾が肩を掠め、焼けるような痛みが疾った。利き手や首に当たったのではないのが、不幸中の幸いだろう。 次弾が装填されるまでのコンマ数秒の間に返す刀での強烈な肘鉄を繰り出す。
 回避不可能な間合い。肘が女の即頭部に直撃し、よろめくが一撃では倒れない女ボス。拳銃もその手に握り締められており、まだまだ倒れそうには無かった。 しとめるつもりで打った初撃を耐えられてしまったことで攻守が逆転する。その刹那、脳裏に甦ったのは楽弥の言葉だった。
「銃を持った敵と対峙した場合、最も有効な戦術は……逃げることだ」
 すぐさま頭を抱えるようにして、側方に転がる。俺からの攻撃を受けた直後とは思えないほど早く、正確な射撃が俺の影を穿った。銃声は二回。頭と心臓に一発ずつ。威嚇のためではなく、完全に殺すための射撃。
 甘く見ていた。対策を考える暇もなく、連射される銃弾。銃口が俺を捉えることのないように移動しながら次の手を考える。反撃するための糸口と言うより も、態勢を立て直すための一手すらも見つからない。遮蔽物は何もない。援軍は来ない。対抗できるだけの武器もない。完全な”詰み”の状態だ。
 転がりながらも先に殺るのは女の方だったかと短く後悔する。二発、三発と続けざまにコンクリートの床が爆ぜる。弾切れを待つまで逃げ回るのは不可能だと判断した。
「わかった。詰みだ」
 両手を挙げて降参の意を示す。無防備なところを見せて隙を突く、わけではない。ただの諦め。殺してくださいと言っているだけだ。女ボスは無感情な表情で何をするでもなく、俺を見据える。
「子供か。これは何のつもりか、答えろ」
「殺せ」
 発砲。右耳付近を高熱と知覚できない何かが通り過ぎる。
「知ったような口を聞くんじゃない。質問に答えろ。警察はこんな子どもにまでこんな危険なことをやらせているのか?」
 どうやら警察の差し金だと勘繰っているらしい。その視線は何に対してかは分からないが、凍りつくほどに冷たい。
「俺個人の意思だ。さあ、殺せ」
 女は答えず、俺からの反撃を絶対に対処しきれるギリギリの範囲まで歩み寄る。銃を構えたまま。いつでも強制的に会話を終わらせられる距離。どうやら日本の平和ボケした奴等とは違い、その筋のスペシャリストのようだ。
「死ぬとか殺すとか、そんなことを軽々と口にする辺り、絶望してるみたいだわぁ。少年とはいえ、あの殺陣。見込みがあるよ。そこで転がってるのは技師だから 仕方ないとは思うけど、それでも普通は大人相手にそこまではやらないし、出来ない。なぁ、少年。私たち革命家の仲間にならないか?」
 その質問に選択肢はない。重厚から覗く流線型の金属。ほんの僅かな指先の動きだけで、凶悪な速度で襲い掛かってくるそれを目の当たりにしながらも、俺は即答した。
「断る」
 あの時出来なかったこと。ようやく終わらせられると思った。
 だがしかし、銃口が火を噴くことはなく、直後女の家に入り込んだ虫でも見るような目が突如暗転する。びくと全身を小さく痙攣させたと 思った直後、支えを失ったようにうつぶせに倒れこんだ。形勢逆転。俺は突然倒れ、ピクリとも動かなくなった女の手から、黒い凶器を奪う。倒れた女の後ろに立っていたのは、他でもないスタンガンを握ったあの説教女だった。
「お前のナイフで僅かだが、縛られていた縄に切れ目が入った。助かったぞ」
 倒れた女には目もくれず、大声で宣言する。どう見ても礼を言う態度ではないが、助かったのは俺の方だったので何も言わずに、無理矢理に少女の腕を掴む。
「おい、何を…」
 初めて扱う銃だったが、躊躇わず窓の中心に向けて発砲する。強化ガラスでもこれだけの至近距離で撃てば簡単に打ち破れる。俺は割れて脆くなったガラスを蹴破り、二人分が何とか通れるだけの抜け道を作る。
「逃げるぞ」
 承諾も何も省略し、少女を両手で抱え、飛び降りる。たかが二階程度でよかった。屋根をペシャンコにつぶした不法車駐車車両から、少女を抱えたまま飛び降りる。少女は小さく悲鳴を上げて俺に強くしがみついたが、無視してそのまま裏路地を駆けた。
 どちらかの追っ手が来る前に逃げる。テロリストだろうと警察だろうと面倒なことには変わりない。かくして、俺はまた死に損なったが、別段悪い気分でもなかった。


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