#05 少女VSテロリスト
 聞いた話によると、逃げ足を自慢していたあの女はいとも簡単に捕まったらしい。きっと今頃は犯人に囚われ薄暗いアジトで椅子か柱にでも縛られているに違いない。命の危機に瀕した恐怖であの時みたいに泣いているかもしれない。
「まぁ、関係ないけどな」
 誰に言うでもなく、一人呟く。一度や二度会ったことがある女を心配する義理などない。そもそも、そいつの日頃の行いが招いた不幸なのだろう。呆れたり、物思いに耽ったりすることはあっても助けに行くなどというような熱血行動に走ることは皆無だった。
 図書館での一件後、警察は事情聴取という名の尋問を執拗に俺たちに繰り返した後、こちらには一切の情報の開示を拒否して去って行った。あまりに理不尽な 接し方に苛立ったが、これはすでに民間人である俺たちに関わることが出来る状況ではなく、立派な事件として扱われるのだから仕方ないと妥協した。
 あの不遜な男たちが去った後、残された俺たちは同時に大きなため息をついて、ほぼ同時に顔を見合わせた。冤罪で法廷にまで連れて行かれた気分だ。
「もう、二度と警察は信用しない! 落としたものは警察に届けない!」
 楽弥は相当怒っているようだったが、後者は落とし主に迷惑だろう。しかし、その怒りももっともだと思ったから、特に否定したりはしない。俺もあいつらにやってもいない容疑をかけられ、長時間拘束されるのは御免だ。
 俺たち二人だけの空間に戻った図書館にも、平穏は戻らなかった。一息吐く間もなくけたたましいサイレンのような音と俺の名を呼ぶ校内放送が、授業中だということも気にせず鳴り響いていた。
「間違いなく、あいつらの嫌がらせだ。どこまで、陰険なんだ。だんだん腹が立ってきた!」
 楽弥が感情に任せてまくしたてる。怒りはとっくに有頂天だと思っていたが、意外とそうでもなかったらしい。さっきの横暴な態度といい、いきとどいたアフターケアといい、それら全てが気に入らないと楽弥は吠えた。
 俺は今にも鉄バットでも持って警察署に殴りこみに行きそうな楽弥を仕方なくなだめる。
「落ちつけよ。黙ってここにいれば、ほとぼりも冷めるさ。こんなくだらないことに体力を使ったって馬鹿らしいだろ」
「聖ちゃん、それは駄目だ。そんなんじゃ僕の煮えたぎるようなこの怒りは収まらないさ。絶対あいつらにひと泡吹かせてやる」
 俺の冷え切った言葉でも楽弥の感情は冷めることなく、温度を上げている。理不尽や不合理を嫌う楽弥の性格ならではの叫びだった。楽弥は鞄から携帯電話よりも少し大きくて無骨な通信機のようなものを取り出す。古い映画で見たトランシーバーに似ている気がした。
「聖ちゃんだって、本当は怒ってるんだろ? クールな顔しててもわかるぜ。あの警察の鼻を明かしてやりたいって顔に書いてあんよ」
「ん、ああ……そうだな」
 煮え切らない返事を返す。腹立たしい連中だが、別にそこまでは思ってないと言ったところでこいつは聞かないだろうし、これ以上楽弥を変な方向に怒らせる必要もない。
 黒い機械をいじり、耳に当てたりしていた楽弥は目を合わせずに上機嫌に頷き、口の端を釣り上げる。何か悪いことを思いついた時の笑みだった。
「だろー? だったら、もう聖ちゃんは参加ってことでOKだな」
「何に参加するんだよ。それに、その機械は何だ?」
 不敵な笑いを浮かべた楽弥は小さく手招きし、黒い機械のスピーカー部分らしきところを俺の耳にあてた。小さなノイズ混じりの音に男の声らしきものが聞こえてくる。
『……現在、K町郵便局付近ですが、犯人の影らしきものはありません。聞きこみもあまり功を奏してない状況です』
 慣れた調子でダイヤルを回転させる楽弥。ノイズが激しくなり、今度は別の男の声に切り替わる。
『……犯人の要求は政界の要人の自害と新法案の制定、逆らえば人質の命はない。また、爆弾を所持しているなどと言っていますが、事実かどうかはまだ』
 黒い機械を自分の耳に戻し、大笑いする楽弥。心なしか嬉しそうだった。
「警察は何でこんな無線を未だに使ってるのかねえー。なんなら一般の人も傍聴できるようにしたらいいのに。その方が警察が如何に有能か証明できるし、事件に対する愛着っつうか、理解っていうかそういうのもより一層深まると思うんだけどね。あんなマスコミに脚色されすぎたティーヴィーなんてものよりもずっとさ」
 楽弥の鞄には勉強道具以外のがらくたがいっぱい詰まってることは知っていたが、こうも簡単に警察無線を傍受するとは。しかし、その異常な能力からは嫌な予感しかしない。あのパスケースから国家権力の襲撃を予感したように、最悪に迷惑で何のためにもならない特大の地雷が俺の脚元全体に広がって、どうやっても避けられないような絶望感にも似た感情。
「おい、楽弥。まさかとは思うが、その警察無線を傍受して、あの女を助けにいくとか言うつもりじゃないだろうな」
「なかなか冴えてるジャン。でも惜しいな。正解は“無能な政府の犬どもを踏み台にして、あすか姫を救出しちゃうぞ大作戦”さ」
 ネーミングはどうあれ、完全に当たってるじゃないか……。こればかりはさすがに親友とはいえ止めざるを得ない。相手は人質を盾にとって政府を脅すようなクズだ。この国の味方をするわけじゃないが、結果的に楽弥を危険に晒すようなことは決してすべきではない。そして、それを止められるのは俺一人だというこ とも重々承知していた。
「楽弥。その作戦は却下だ。お前が危ない」
「いや、僕は危なくないよ。頭はちょっと危ないかもしれないけどさ。僕に危害が加えられることはまずない」
 何を根拠にそんなことを言いきれるのだろうか。わからないが、警察無線を傍受しながら上機嫌で笑う楽弥は、さっきの怒りに身を任せて何でもやりそうというよりも、もっと別のことで楽しそうだった。直感で俺に降りかかる不幸を予兆する。
「僕は情報役。行動は聖ちゃん。姫を助けにいく騎士様が二人いちゃあ喧嘩になっちまうよ。第一僕は体力とか喧嘩とかからっきしだし」
「なんで俺が」
 咄嗟に出た言葉だが、そこまで言いかけて強い違和感を覚える。自分で言ったはずなのに、嘘をつかれているような気持ちの悪い感覚。口に出せないような微妙な感覚の隙に楽弥の言葉が鋭く切り込んでくる。
「わかるって。あの子を助けにいきたいんだろ? 僕が全力でサポートする。いいとこは全部聖ちゃんが持ってきなよ」
 一瞬、深夜の路地裏で見たあいつの涙が思い浮かぶ。関係ない。自分の身を危険に晒してまで助けに行く義理なんてない。行く必要なんてまるでない……が、いつの間にか俺の手のひらは硬く握りしめられていた。
「楽弥、お前……俺のことは心配しないのかよ。敵も武器とか持ってるかもしれないだろ」
「大丈夫。聖ちゃんはさいきょーだから。銃弾だって素手で掴めるって」
 掴める訳ないだろ。俺は人並みの人間でしかない。そう、こいつは何の根拠もない行動が大好きなんだ。だけど、その根拠のない行動を全力で信じることで可能にするのがこいつだ。
「馬鹿言うな。別にあいつを助けにいくわけじゃないからな。勘違いすんなよ、警察のメンツをぶっ潰してスカッとするために行くだけだからな」
「はいはい」
 楽弥は両肩を上げて、やれやれといった仕草をする。今思うと、最初の妙な怒り方も全て俺を誘導するためにわざとやっていたのではないだろうか。ただ、俺の気持ちを動かすためだけに、外堀から埋めていき、巧みに俺の矛先を逸らす。こいつには勝てる気がしない……だが、味方だとこれほどまでに頼もしいものはないと改めて実感する。
「作戦名は“警察の沽券をめちゃめちゃにしつつ、ついでにあの女を助ける作戦”に変更」
「さっきのと同じじゃんか」
 楽弥の呟きを無視しつつ、鞄の中から連絡用の携帯電話だけを取り出してポケットに突っ込む。廊下には教師の影。さっきの放送のこともあり見つかれば職員室行きは免れない。ルートを非常時の脱出口に変更し、この長い作戦の第一歩を踏み出した。
*
 突然のことだった。通学中、早朝から駅のホームで口論しているのを軽く注意し、通学路に出た直後のことだ。私のすぐ隣にあった駐車禁止の標識の前に平然と駐車した黒いセダンを注意しようと助手席の窓まで行ったところまでは覚えている。そこから、ぬっと手が出てきて、私は瞬時にして意識を失った。
 そして、気がつけばこの有様だ。おそらく、薬か何かで眠らされてしまったのだろう。私は両手両足を縄のようなもので縛られ、椅子に固定されている。口に は猿ぐつわのようなものを噛まされ、喋ることもままならない。目隠しまではされていないが、どうやらここは私が今まで一度も足を運んだことがない場所のよ うであることしか分からなかった。
「うー……ぅう」
 大きな声を出そうと頑張るが、どうやってもまともな声は出せない。口を塞がれていることで呼吸が乱れ、軽くむせた。しかし、この廃墟のような場所には人気がなく、誰一人私に気づくことはなかった。
 どうして、こんな目に遭っているのかは見当がついた。昨今、警視庁や、とある政治家や団体に向けて届いた脅迫状が起因するものに間違いない。その脅迫文 はワイドショーで軽く騒がれた程度でいたずらだと思われていたが、現実に私が捕まってしまったことで愉快犯ではないということがわかった。
 出来ることなら、今すぐにでも父に連絡を取りたい。自分の身を呈してまで手に入れた情報をすぐさま届けたい。だが、私の両手は封じられ、ポケットの中の 携帯電話には到底届かない。しかし、こんなことになることも想定して、私には発信機を取り付けてもらっている。学生証に仕込んだICカード。あれを頼りに 警察が探してくれるはずだ。
「あ……」
 塞がれた口のまま、絶句する。最寄駅の電車に乗るために改札に入ろうとしたとき、いつもポケットに入れたままにしているパスケースが消えていた。その時 は私がモタモタして後ろの客たちに迷惑をかけるわけにはいかないと、すぐに移動し、仕方なく切符を買ったのだが……発信機はパスケースの中だということを 失念していた。
 念のために電車内で鞄を確認したが、どこにもパスケースは見当たらなかった。家に忘れてきたということはまずない。となると、どこかに落としたのかもしれない。が、私は普段からよく出歩くので、心当たりが多すぎる。
 絶望感と自分に対する失望。発信機がなければ、私はただの人質であり、ただの迷惑でしかない。父の期待に応えられないどころか、足手まといにさえなってしまう。そのことが何よりも私の心を苛んだ。
 無意識のうちに目頭が熱くなる。こんなことなら、目隠しもしてくれればよかったのに。つらくて、悔しくて涙が出た。そういえば、昨日の夜も意地の悪い男 に言い負かされ、泣いた。こんなに泣き虫だから、父は私を認めてくれないのかもしれない。そう思うと、なんだかもっと悲しくなり、熱いものが頬を伝った。
「おや、この子泣いてるよ。人質は丁重に扱ったはずだけどねえ」
 いつの間にか私の前にサングラスをかけた見知らぬ人がいた。強い香水の匂いと口調から女性だということがわかった。
「ボス。そりゃあ、そんな縛り方したら泣きたくもなりますよ。俺だったらちびっちまう」
 今度は男の声、こちらはどこにでもいそうな中年の男だ。サングラスもしていなければ、目の前の女性のような真っ黒い服も着ていない。ただの作業着を着た、労働者に見える。
「あんたはだらしないねえ。あたしだって縄の跡が残ったりしないようにいろいろ工夫したんだよ。この子に恨みがあるわけじゃないしね」
 ところどころイントネーションに特徴がある女だ。この声は絶対忘れない……そう思った後、女の手によって私の口にされていた猿ぐつわが外されていた。
「こんなことして、顔に傷が付いたらどうするんだい。こんなのはマゾのお前がつけてな」
「ちょっと、ボス。誤解を招くようなことは言わないで下さいよ」
 目の前で交わされる、どこか間の抜けたやりとり。何故か、この人たちが良い人のように見えるが、その実こいつらは間違いなく誘拐犯だ。騙されてはいけないと自分を律する。口が開いたことで、全くの無力ではなくなった。
「おい、そこの誘拐犯。これは何の真似だ。私のような小娘を捕まえて、どうするつもりだ」
 私の怒気に怯んだのか、二人の間抜けがきょとんとする。しかし、ボスと呼ばれていた女はすぐに調子を取り戻して、私の顎を持ち上げて口を塞ぐ。
「あなた、口のきき方に気をつけなさい。ママに教わらなかったの? レディがそんな言葉づかいじゃダメさ。ただ、あたしは割と好みだけどねえ」
「ボス。俺たちナメられてますよ!」
「お前がM奴隷みたいな顔してるからだよ。ねえ、あなた自分の立場わかってるよねえ?」
 女は私に喋らせるために、指を離す。私が置かれている立場……人質だということだろう。私に手出しをすれば、それは人質を失うことになる。犯人たちにとって何の得もない。
「わかってるが」
「わかってます、でしょ?」
 撃ち殺すよ。冷たくそう言って無造作に置かれていた拳銃を私の額に向ける。人質に手出しはできない、そう分かっていても体の芯が震えた。私に向けられた銃に空いた空洞を覗き込むと心が折れそうになる。
「わかって……ます。私をさらって何が目的……なんですか?」
 女は口元だけでにっこりとほほ笑む。サングラスで目は見えないが、何故か背筋が震えた。
「よくできました。そうねえ、あたしたちの目的は腐ったこの国を浄化することよ」
「さすがボス! しびれます!」
「お前はスタンガンでも咥えてな」
 浄化するというのはどういうことだろうか。私も普段から少しでも悪いことをなくそうと奔走している。しかし、どう考えても私とこの女の理念が一致してるとは思えない。
「手始めに、あの不愉快な建物を爆破するわ。あの、何て言ったっけ。ホワイトハウスじゃないし、なんとか議事堂?」
「爆破?」
 あまりに物騒な言葉に思わず言葉を返してしまう。それが女にはよほど面白かったのか、やかましく笑った。
「そうよお。みんなのために、この国の未来のために、来るべき新しい秩序のために……殺すわ。国のトップを。政府の犬を。この国のためにならないものは全部」
「仰せのとおりです、ボス!」


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