#04 少女VS教育問題
  俺が通う学校は良くも悪くも進学校だ。生徒のほとんどは一生懸命勉強し、将来良い職に就けるように頑張っている。学区内では上位三位の中に入り、進学先にも名のある大学がちらほらある。
 だが、進んでいるのは勉強だけではない。生徒たちの日常も他校と比べて進んでいるように思える。それは、俺の感覚的なものでしか表現することができないが、言うならば“汚れている”に近い感覚だ。
 受験という強制的な適者生存は、全国的に見ても平均からかなり上位の頭脳を持つ生徒だけが一校に集中するという現象を人為的に行うものだ。そのおかげ、といっては何だがクラス中を見回しても、それほど突き抜けて頭の良い生徒は少なく、興味のある話題やなんかも割と共通していた。
 そういった問題の少ない安定した環境は俺が生まれ育った国の政治のように、急速な速度で腐敗が進む。人間関係のこじれやそれに伴う追放。能力が劣るものの蹴落とし。暴力と快楽の追求。国民性とも呼べる妙な連帯感が、異質なものを徹底的に排除しようとする。
 生徒全員が指定された制服により個性を奪い去られ、薄っぺらい笑顔を仮面のように貼り付けていた。入学当初、友人と呼べる同級生も頼れる教師も存在しな い中、自分自身も彼らと同じ灰色で襟付きの制服を着込んでいたが、あの不愉快な笑顔は浮かべることができなかった。確実で、狡猾な、我が国における違法性を伴わない“洗脳”に逆らおうと必死だった。
 彼らに汚染されないように、人との係わり合いを避けた結果。俺は……落下した。
*
 すっかり人気の無くなった校門に、始業を告げるチャイムが鳴り響く。完全に遅刻だとわかっているが、走り出す気は無い。遅刻を急いだところで遅刻は遅刻だと割り切っているというよりは、これが俺にとっての当たり前だからだ。
 遅刻した生徒を職員室に連行するための門番、腕を組んで鬼のような形相をしている体育教師が仁王立ちしている様子が見える。
「おはようございます」
 それを俺は小声の挨拶と共に通り過ぎる。目線も合わせなければ、謝罪の意もまったく無い、ただの挨拶。しかし、それを鬼は何も無かったかのように見過ごす。見逃したわけではない。遅刻したことを、にもかかわらず反省も何も無いことを彼らは容認しているのだった。
 生徒用玄関を抜け、教室に至る階段を上る。移動中の何人かとすれ違うが見知った顔は無い。というよりも、同じ校舎に通う生徒同士の中でもほとんどの生徒は面識などあるはずがなかった。特に学年が違うと話すどころか顔を合わせることも稀だろう。
 そんな中、偶然見知った顔に出会う。同じクラスで俺にためらいなく話しかけられる奇特な人物は出会うなり、満面の笑顔で俺に歩み寄り肩を叩いた。
「おはよう、せいちゃん。次の授業は理科室で実習だよ」
「……忘れてた」
 正確には忘れていたというよりも、どうでも良かったというのが正しい。その同級生は突然壊れたように笑いながら、俺の肩をバシバシと何度も叩いた。
「そっか。僕も教科書忘れちゃって誰かに借りようと思ったんだけど、よく考えたら俺ってこの学年に全く知り合いいないんだよねー。それで聖ちゃんを探してたんだけど、その様子じゃ持ってなさそうだ」
「最初から真面目に授業を受けようなんて思ってなかっただろ」
 俺はそっけなく核心をつき、自分も理科室で仲良く実験などに興じる気はないと言った。どうせ授業に行ったところで、俺の役割はないだろうし、教師も出席を確認しない。ほぼ無条件で出席が足りる学校なのだ。
「僕らは行ったって席ないかもしれないしね。じゃあ、どうするよ。図書室でサボるか、保健室でサボるか、中庭でサボるか……どれにする?」
「図書室」
「なかなかシブいセレクトだな。よし、行こう」
 なら保健室を選んでいたとしたら何と言うのだろうか。そう考えながらも、教室とは真逆に位置する図書室へと向かう。昼休みや放課後、調べものがある授業以外ではほぼ確実に静かで人のいない場所だ。補足するが少し伸ばした前髪がメガネにかかる同級生、楽弥らくやは気安く俺に話しかけてくるがこれは例外中の例外だと言っておく。こいつは少し、あの狂人たちとは物の見方が違うのだ。奇人と呼んでも差し支えないと思う。

 閉館中とかかれている掛け札を無視し、遠慮なく扉を開くとそこは、案の定無人だった。誰もいないなら鍵くらいすればいいのにと思うが、これは居場所のない俺たちのような人間への温情措置、もしくは遠まわしな隔離なのかもしれないと考え、手近な席に隣り合わせで座る。楽弥は慣れた動作でライターを取り出し、慌ててポケットにしまった。
「中庭がナイスセレクトだったな……そういや、あのタバコどうした?」
「不味かったから捨てたよ。あれはなんだ?味覚異常者のためのタバコなのか?」
 楽弥はうーんとうなり、数瞬後に思い出したかのように言った。
「どっちかって言うと不味そうだから買ってみたんだよ。メンソールの時点で最悪なのにレモン風味だなんて笑っちゃうだろ?」
 面白いから。楽弥は大抵の事をこの一言で済ます。理由なんてほとんどないのだ。こいつが何も考えず買った地雷のせいで俺は更なる地雷を踏む羽目になったわけだが。
 そのエピソードは話さずに一人で囃し立てる楽弥の前に、昨晩拾った学生証を置いた。黒いパスケースに収まったそれを見た楽弥は大喜びで飛びつき、小さな 顔写真や名前、学校名などをうんうんと頷きながら吟味していく。そして一分ほど時間をかけて眺めていた学生証をテーブルの上に置くと、感極まったような声で言った。
「ついにあの聖ちゃんにも彼女ができたのね……うれしい、うれしいよお、僕は!」
「いや、そんなんじゃないから。それ、拾ったんだ」
 俺は即座に否定するが、それでも楽弥は簡単には信じようとせずに、「僕という親友がいながら」だとか「もうお婿にいけない」だとか訳のわからない事を叫んでいた。けれど、頭がおかしくなってしまったのではないことは短い付き合いながらもわかっていた。
「で、この女。知ってるか?」
 落ち着いたような仕草を見せたタイミングを見計らい話しかけると、楽弥は暴れたせいでずれたメガネを中指で直し、言った。
「ああ、知ってる。如月あすか。学区一の進学校の……えーとなんだっけ。興味ないから忘れたが、なんとかかんとかって高校の風紀委員をやってる、町の超有名人だ」
 超有名人を知らない俺は超無名人だから仕方ないとは思いつつ、楽弥の説明に聞き入る。こいつは俺の知りうる全ての人の中でも最も頭の良い人物だ。だが、その優秀な頭脳は勉強に生かされることはほとんどなく、専らくだらないことや哲学的な考察、本の暗記などに役立っていた。
「通称、説教少女とかパト子とか呼ばれていて、本人が悪だと認識した全てのものに対して年齢、性別、風貌を問わずに説教することから極めて迷惑だというこ とで有名だ。なまじ見た目が良かったり、正義感から行動していることから性質が悪い。高校でも悪即斬を地で行く、ある意味天然記念物のような存在だ。やる気のない教師を告発したり、クラスにはびこるイジメ問題に首を突っ込み、モンスターペアレントをテープレコーダーと証言を元に観念させたりと教育委員会から感謝状を贈られたりしている。他にも警察と繋がりがあるというような目撃情報もいくつかある……まぁ、噂だけどな。それで、これがどうかしたの? 惚れたの?」
「いや、凄まじいなと思って」
 楽弥の知識量にも舌を巻いたが、あまりに壮絶なあの女の戦歴に青ざめた。正直引いた。そして、その問題児の学生証がここにあるということを非常に不吉なものを感じた。これはすぐにでも警察に突き出して、処分したほうがいい。
「どこまでが本当かわからないけどなー。僕は聖ちゃんの方が凄いと思うぜ」
 何をもってそう言っているのかはわからないが、楽弥は本気でそう思っているようだった。俺自身、他の誰かと同じような生き方はしたくないと思っているが、それ以前にとある事件がきっかけで普通に生きることができない環境になってしまった。それは俺にとっては大したことではなかったのだが、周りにとっては重大な事件だったのだろう。
「別に俺は褒められるようなことなんて何一つ……」
 突然、来るはずのない来訪者によって慌しく扉が開かれる。俺たちとは異なった制服に、どこか物々しい雰囲気を持つ男たちが、明らかに土足で次々と図書室の敷居をまたいでいた。急なことに思わず途切れさせていた言葉を無理やり飲み込み、終始乱れぬ連携で俺たちの座っていたテーブルを取り囲んだ男たちの顔を見る。一番前で無線を耳に当てていた壮年の男は昨晩出会った警察だった。
「何故、お前らがここにいる」
 学生が学校にいて何が悪いと食って掛かれるわけもなく、どちらかというとその警察の言葉に違和感を覚える。明らかに授業中のこの時間に、学生が何故授業に出ず図書館で談笑しているのかという質問なら道理にかなっている。が、しかし、この刑事の言い方だと、ここにいるのは別の人物であるはずだったと言っているような気がした。
 刑事は無線に何かをごにょごにょと喋っているかと思うと、強引に俺と楽弥の机に割り込んで、テーブルの上に置いたままにされていた学生証を強引に奪い取った。それを見た楽弥はすぐさま奪い返そうとするが、左手の力だけで一蹴される。
「何なんだよ、お前ら」
「目上の者への口の利き方も知らんのか。この学生証をどこで手に入れた。お前がやったのか?」
 刑事は鬼のような形相で楽弥を睨み、襟元を掴みあげる。楽弥が苦しそうに呻いたのを見て、思わず刑事の腕に手が伸びていた。
「放せよ。あんたらこそ、いきなり現れて何様のつもりだ」
 腕を手で強く握り、刑事に負けないよう鋭く睨む。それを見た刑事はたじろぐ事もなく、ふんと鼻を鳴らして手を放した。
「貴様は昨日の夜にいた不良の仲間か。見逃してやったにもかかわらず、手癖の悪いことだ。お前が如月嬢からその学生証を盗ったんだろう」
「あいつが落としたのを拾っただけだ。感謝されることはあっても、濡れ衣をかけられるいわれはない!」
 決め付け調の言葉に嫌気が差し、感情的に言い返す。今にも食って掛かりそうな様子に、たまらず別の警察が俺と刑事の間に割って入った。
「落ち着いてください。今はそんなことを言い争ってる場合じゃないでしょう!」
 刑事はその一言に落ち着きを取り戻し、落ち着こうとしてさっきの楽弥のようにごついライターを取り出してから、校内だということを思い出して苛立たしそうにテーブルに叩き付けた。
「そもそも、あの娘が悪いのだ。お前らいいか、よく聞けよ。拾ったものは即警察に届けろ。交番が遠かろうと、時間が遅かろうと関係ない。お前らの判断次第でどうしようもないことが起こりうる場合がある」
 ただ、感情的に言っているのではない気配がした。刑事はあの女の学生証を俺たちに見えるように掲げ、無感情に告げた。
「このパスケースには発信機が仕掛けられている。いつ、どこにあの娘が行ったかを監視するためだ。しかし、今回の場合もう一つ大事な意味があった。彼女は身代金目当ての誘拐犯の囮捜査に協力していた。その意味がわかるか?」
 刑事の言葉は重く、鈍い衝撃でじわじわと心を砕いていく。告げられた言葉を受け止めるには、あまりに非日常的な物だった。
「誘拐犯を名乗る者から、脅迫の電話があった。逆らえば、この女の命はない」
 

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