あの訳のわからない女から逃げ出して、一度は家に帰ったものの夕食時に両親と口争いに嫌気がさして家を出た。別にいつものことだ。両親は慣れきっているし、俺自身もなんとも思っていない。
 時間も遊ぶにしては遅い時間だ。携帯を取り出してアドレス帳を眺めてみるが、半分ほど流してみて携帯を閉じた。三分の一も顔が浮かばなかった。いつどこで手に入れたかもわからないアドレスにメールをする気にはなれない。
 結局いつも通り、近くのコンビニに行くことにする。家から徒歩五分だが、住宅街の中で細々と経営していて客も少ない。訳あって立ち読みするには絶好の場所だ。よくないことをあげるとすれば、まぁ説明しなくても行けばすぐ分かる。
「それでアレがさー」
「キャハハハハ」
 店の前には駐車場を無視してバイクが止められ、時折空ぶかしやクラクションの演奏会が起こる。アスファルトにはタバコやらお菓子のゴミやらいろいろ散乱している。手動ドアの前には奇抜な髪形をした男と年齢に見合わないメイクをした女がいる。年齢は俺とそう変わらないだろうが、同年代とは思いたくない。
 俺は無言で二人の間を通り、店のドアを開ける。通る時に男が何か因縁をつけてきた気がしたが、聞こえないふりをした。昼に遭ったような面倒事に巻き込まれるのは御免だ。
 入っても「いらっしゃいせ」の一言もない。実際、歓迎の気持ちなんてものはまるでないだろう。店員の顔は見慣れてるが、向こうは俺のことを知らないはずだ。覚えていたとしてもよく来る常連くらいにしか思ってない。第一俺は立ち読み専門だ。迷惑をかけることはあっても、店の利益になるようなことはしてない。
 適当にマンガ雑誌を手に取る。辞書のように分厚い雑誌だが、実際の内容は薄っぺらい。ただ、時間を潰すためだけならちょうどいいと思う。つまらないなら、つまらないなりに睡眠薬代わりになる。客は俺だけだし、陳腐なBGMも眠気を誘う。
 が、俺の睡眠を妨げる存在が現れた。ついさっき店の前でだべっていたやつらだ。何かわけのわからないことを口走っているが、とても日本語とは思えない。 ひたすら雑音だけが響いている。店員はただこの災害が通り過ぎるのを待つだけだ。
「いらっしゃいませー」
 形式だけの声をかけ、レジの前に雑多に置かれた駄菓子の類を一つずつレジを通して行く店員。その男のポケットの膨らみや鞄からはみ出した商品には目もくれない。客がたばこを注文し、一瞬顔をしかめたが、何も言わずにぶっきらぼうな様子でタバコを差し出した。
 余計なことに首を突っ込んで馬鹿を見るよりも、後ろで並んでいるほかの客を相手した方がマシということなのだろう。そう、この店員は正社員ではなく、単なるアルバイトなのだ。この店の利害とは関係ない。ただ、自分が言われた時間分、規定の仕事をしていればいいのだ。
 かくいう俺も腐りきったやり取りを眺めているだけで、何も言わない。俺はただの客であって、このコンビニやあの店員がどうなろうと関係ないからだ。
 さっきの男女が店内で駄菓子を頬張りながら俺の隣で立ち読みを始める。耳障りな音、声、動作はすべて俺の感情を逆なでしたが、黙ってページを目で追っていた。正義を振りかざし悪と戦う主人公のセリフを胸の内で読み上げる。
「正義の名のもとに、お前を倒す!」
 この主人公は警察か何かなのだろうか。悪だか敵だかわからないが目つきの悪い男と戦い、見たこともない武器や技で敵を倒した。しかし、これを現実でやってしまえばただの暴力だ。倒された敵は警察に出頭し、その主人公を訴えるだろう。この世に正義や悪なんてものはない、みんなが灰色でその濃さ加減の問題なのだ。俺の方がまだ薄い灰色だ、俺の方が黒っぽい。なんて間抜けな様子だろうと小さく吹き出した。
「おい、なんだテメエ。今、俺の顔見て笑ったろ? あ?」
 あ? ってなんだよと思ったが、今にも胸ぐらを掴まんばかりでガンを付けてきたので、仕方なく雑誌を元の位置に置く。こういう跳ね返った頭をした人たちは血気が盛んな上に、因縁をつけたがるから困る。
「漫画の内容が面白くて笑ったんだよ。君の顔のことじゃない」
 十分面白い顔だが、笑うほどは面白くないよ。中途半端な顔さ。どちらかというとその髪型のほうがおもしろいよ。とは間違っても言わない。
「まぎらわしんだよ!」
 男は怒鳴り、大きく舌打ちする。挙句の果てに店内につばを吐いて帰って行った。蹴り開けたドアは開けっぱなしだ。これだけでも十分訳がわからないが、あんなクズについていっている女たちは何がいいのか疑問で仕方ない。
 しかし、今ので完全に興が削がれた。眠気覚ましにコーヒーでも買って帰ろうと思ったが、店員たちの小言が耳に入ってきたのでやめた。面と面を向き合って注意することができないから、小言や愚痴という形で代替する。この国の誰もが得意な方法だった。あいにく俺は話す相手ほとんどいないので、あまりその方法を使うことはない。
 面倒事に衝突しないように軽く注意して店を出る。出迎え共に聞こえるのは店員用のチャイムだけだ。店員にとっては俺もあいつらも同じ扱いらしい。せめてチャイムくらいは俺と奴らの違いを見極めてほしいなどと無理なことを思った。
 家に帰るつもりだったが店から半歩出て、踏みとどまる。買い忘れがあったわけではない。外が何やら騒がしかった。何やら言い争いをしてるらしく、その片 方はついさっきのヤンキー。そして、もう片方も残念ながら聞いたことのある声だった。
「お前たち、今何時だと思ってる! 親御さんが心配しているぞ!!」
「誰だテメエ。お前こそ、中学生がなんでこんな時間に出歩いてんだよ!」
「中学生じゃない! 高校生だ!」
 思わず頭を抱える。そして、時計代わりにしている携帯を見る。23時。駅前で塾通いの高校生ならまだいてもおかしくない時間帯だが、ここは人通りの少ない住宅街だ。女の一人歩きは危ないに違いない。ついでに言うとヤンキーに絡むなんてことは絶望的に危ない。
 しかし、少女は俺の考えなどお構いなしに堂々とヤンキー数名の前に腕を組んでいる。服装はさっき会った時と同じセーラー服だ。迫力は欠片もないが妙な説得力がある。
 だが、ヤンキーらしき男もそう簡単には折れない。
「別に中坊だろうがなんだろうが関係ないんだよ。いいからさっさと失せろ」
「お前たちが改心して、今すぐ家に帰りますと誓うなら消える。わかったら、今すぐそこのゴミを片づけろ。分別は忘れるなよ」
 ヤンキーはヤンキーなりに譲歩したつもりだったが、それに対して真っ向から説教する少女に対し、脆すぎる堪忍袋の緒が早々に切れた。
「うるせえ! 指図するんじゃねえよ! ぶっ殺すぞ!」
 いくらなんでも殺すのはやりすぎだ。思わず助けに行こうとしてしまうが、足を止める。無関係だから、ほとぼりが冷めるまでここにいることにしよう。
「いいのか? 私を殺したらお前の未来も絶たれるぞ? そんな事より誰にも迷惑をかけずに生活しろ! お前はどれだけ両親に心配をかけたら気が済むんだ。タバコは吸う、家には帰ってこない、口応えはする……悪いとは思わないのか?」
「親のことは関係ないだろうが!!」
 ヤンキー風の男が少女に掴みかかる。すぐに殺すということはないだろうが、少女が苦しそうに呻いた。見かねた店員がレジ内にある緊急スイッチを押した。 店の前でケンカ、どう見ても営業妨害でここにいる全員が連行されるだろう。俺も事情聴取かなんかで呼び止められるかもしれない。無関係だとしても警察のお 世話になると面倒だ。
 わずかの逡巡、しかし答えはそんなになかった。この場から逃げ出す、もしくはこの場をいさめるだ。目の前で襟元を掴まれ、苦しげな表情をする少女。いつ もなら確実に前者を選ぶはずが、今回ばかりは血迷った。
「おい、そこのヤンキー。放せよ」
「んだ、テメエ!」
「お前、昼間の……?」
 俺はどちらの質問にも答えず、ただヤンキーの腕を掴み、ひねりあげる。曲がってはいけない方向に曲がった腕は否応なく少女を放し、少年は痛みに叫んだ。
「ってーな! お前、どこ高だ!?」
「クロ○ティ高校だ。クズ」
 もちろん嘘だ。しかし、頭に血が昇ったヤンキー君はそれを信じたらしく。クロ高だな、絶対ぶっ殺しに行くからなとかなんとか言ってたが聞き流した。
 少女は軽くせき込んでいたが、大丈夫のようだった。
「私を……助けてくれたのか?」
「違う」
 説明するのが面倒になった俺は少女の手首を掴み、ひっぱるようにして強引に走り出す。赤いサイレンが見え始めていた。俺は何も考えずに人気の少なそうな ところまで走った。

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