#1 少女VS俺
 何もやることがなくて街をほっつき歩いていたら、背中越しに知らない女から声をかけられた。俺に女の友達はいないから、アンケートと称して怪しい壷や骨とう品かなんか売りつける勧誘だろうと思い、無視を決め込む。
「ちょっと、そこの男」
 俺が気付かないふりをして歩き出すと、さっきよりも大きな声で呼び止められ、ラフに着ていたシャツの袖をつかまれる。少しだけ不快感をあらわにした表情で振り返ると、そこにいたのは見知らぬ少女だった。
 想像していたのはこの暑さで化粧の浮いたOL風の女か、こういう街特有の露出の多い格好をした女だったので多少面食らう。その女は営業用の決まり切った風体とはまるで異なる、いわゆる学生の姿をしていて、背丈は俺よりも20センチ以上小さく、小奇麗な制服も着ているというよりも着られていると言う方が相応しい気がした。
 俺が黙っていると背の低い少女は全身から怒りのオーラを放ちながら、足りてない舌で怒鳴る。
「そこの背の高い男。無視するな。聞こえているだろう?」
 二度も無視されて頭にきているのはわからなくはないが、初対面の俺に対して言うにしてはかなり苛烈な言い方だった。三度目の正直って訳でもないが、このまま無視し続けていつまでも追ってきそうな感じがしたので、仕方なく返事をする。
「……なんだよ。俺がお前に何かしたか?」
「私にはしてない。だが、それはなんだ」
 少女が指さした先には俺がついさっきまで吸っていた煙草の吸殻が折れ曲がったまま煙を上げていた。クラスメイトが不味いからやると言われて無理やり渡された煙草で、火をつけてすぐに気分が悪くなり、半分も吸い終わる前に捨てたものだった。
「煙草がどうかしたのか?」
「お前がそこに捨てたのを見たぞ」
 そいつの言う”そこ”というのはもちろん吸い殻入れやゴミ箱ではなく、路上だった。まだ消えきっていない火が紙を焦がして原型を変えていく。
「ああ、確かに捨てた。不味かったからな」
 正直に言うと少女は腕を組んで、一度だけ大きく首を縦に振る。様になったその動作は閉じられた目や全体的な仕草からして、同世代の女子全般と見比べてもかなり違和感があった。しかし、本当に違和感を感じたのはこの後だ。
「うむ、素直に認めたのはよろしい。だが、いかんせん見過ごせない要素が多過ぎる。まず、お前何歳だ?」
「十八だ」
 悪びれる様子もなく実年齢を答えると、大事に組み上げた積み木の城を俺が蹴り崩したような顔をした。驚きは怒りに変わり、矢継ぎ早に紡がれた言葉に変わる。
「日本では未成年の喫煙を法で禁じていることを知っているだろ? つまり、お前は法律違反だ。まったく、煙草は二十歳になってからなどと甘く言っているから、悪いことだという自覚が育たないんだ。そもそも煙草なんて百害あって一利なしだというのに、何故吸うのかが理解できない。大体だな、まず未成年のお前が煙草を買うことができる? 未成年の年齢認証を怠ってる証拠だ。結局、煙草会社は売って利益が上がることしか考えてない。消費者の健康など自分には関係ないと考えてるんだ」
「そうか。それじゃ、俺はこれで」
 ついていけない。早々に立ち去ろうとすると、腕を掴まれる。その気丈な眼からして放す気はないようだ。傍目から見れば微笑ましく映るかもしれない光景ではあったが、当の俺はといえば迷惑この上ない。
「話はまだ終わってない。お前の罪状は未成年喫煙だけじゃない。お前は吸い終わった煙草を路上に捨てたが、それは市の条例で禁止されている。ついでに言えば、この辺り一帯は喫煙禁止区域となっている。喫煙所以外で吸うと警察のお世話になることになるぞ。歩き煙草など、もっての外だ」
 そうだったのか、知らなかった。ただのマナー違反かと思ったが、今はそんなことまで規制される時代になったらしい。喫煙者に対する差別とも取れるが、紫煙をまき散らすことによる他者への迷惑を考えると差別だとは考えないのか。煙草がなくなれば税収に困るのは国なのに、おかしな話だ。
「今度から気をつけるよ。携帯灰皿も持つ。喫煙所にも行く。これでいいだろ。じゃあな」
 面倒になり、思いつく限りのマナーを並べたてて、足早に去ろうとする。所詮は女子だ。その気になれば力尽くでいけばいい。
「何度言ったらわかるんだ。未成年の喫煙は禁止されてると言ってるだろ!」
「お前には関係ないだろ!」
 あまりのしつこさにかっとなって大きな声が出る。誰とも関わりたくないから他人しかいない街を歩いていたのに、何故俺は見知らぬ女に呼び止められ、説教されている?
 関係ない。そんな言葉が流行語になる世界なのに、なんてお節介、いや傍迷惑な人間だろう。煙草のポイ捨てや歩き煙草なんて、日常よく目にすることじゃないか。こんなことをして何の得があるのかわからない。関係ない、そうだ。赤の他人に説教する権利なんてない。
「……ある」
 突然の逆ギレに驚き、俯いていた少女が何か呟いた。地面に転がった鈴の音ほどの小さな声で、何と言ったのか聞き取るどころか、街の雑踏にかき消されて言ったのかどうかすら定かではなかった。しかし、その言葉が胸のどこかに引っかかり、無意識のうちに足を止めていた。
「今なんて言った?」
 その時、俺がどんな顔をしていたのかはわからない。しかし、少なくとも大人が注意するのをためらう程度の顔はしていただろう。図体も大きいし、物語の主人公というよりも圧倒的に悪役向きの顔付きだ。怖気づくどころか、小さな子供なら泣いて逃げ出したとしても不思議ではない。
 だが、彼女の出した答えは背を向けて逃げ出すことではなかった。
「関係ないなんて言うな! 見てしまった以上、関係ある!」
 臆するどころか、立ち向かってきた。涙を眼にいっぱいにたたえた瞳で、まっすぐ俺を見据えていた。強い視線に耐えきれず、俺から先に視線をそらした。男女問わず、ガンをつけられてこちらから先に目を離したのはこれが初めてだった。こんな少女に俺が劣るはずがないのに。
 少なからず動揺していた。言葉が出なかった。体は何でもないはずなのに、見えないどこかが痛んだ。誰も関わって欲しくないと望んだのに。
 自分で自分の感情がわからないまま背を向け、ただ走った。あいつに捕まらない速度で。早くこの場を去らなければならない。自分が信じてきたものが折れる前に。


目次 #2