プロローグ
 その昔、宝石の発掘で賑わった小さな村があった。村の名前は人狼村。以前、森に囲まれたその村で人々は細々と生活していた。その発展の起点となったのが、畑から偶然発掘された透明な宝石の原石である。
 はじめ、発見した男はガラスか何かだと思い、畑の周囲に放置していたのだが、掘っても掘っても似たような原石が出てくることから、町に訪れていた旅行商に見せてみたところ、宝石の中でも最高の硬度と輝きを誇るダイヤモンドだということが判明。
 それを機に農作業者以外にも木こりや小さな子供たちまでもから原石を見たという報告が多数寄せられ、その噂を聞いた冒険者たちの手によりゴールドラッシュならぬダイヤモンドラッシュが始まった。
 ほんの数夜の内に繁栄を極めた村だったが、その栄華も長くは続かなかった。祈りを捧げる教会に運び込まれた一人の冒険者。纏った鎧は無残にも切り裂かれ、衣服は赤く染まり、教会の床には血溜まりができている。息も絶え絶えな冒険者に発掘に訪れていたクッリックがヒールをかけるものの、傷は内臓深くまで達しており、献身的な治療にも関わらず、冒険者は息を引き取った。
 宝石による一大ブームの向こう側がこの冒険者が残した最後の一言によって、ほんのわずかに浮かび上がってくる。初めからおかしいと思うべきだったのだ。冒険者は口端から血を流しながら、生命の切れる直前までに紡いだ言葉。
「人狼にやられた。村人のなかに人に化けた狼が潜んでいる。そいつの名は……」
 最初の犠牲者は決定的な最後の一言を言い終える直前で事切れる。教会に集まっていた人々は当初、目の前で起こった死という現象に騒然となり、続けて自分の身に迫る危機に気づき、戦慄した。
 パニックの火種が生まれてからというものの、惨劇はすぐに訪れた。怯え、逃げ惑う人々。いがみ合う冒険者たち。焼ける家屋。男とも女とも判別のつかない断末魔。惑い、狂い、宝石の熱に踊らされた人々は揃って他人を疑った。惨劇は一昼夜続き、村民、冒険者問わず多くの犠牲者が出た。
 惨劇を終わらせたのは一人の研究者だった。彼は殺し、奪い、疑うという地獄絵図の中、我関せずといった様子で一人熱心に死体を分析していた。その狂った研究者魂が実を結んだのか、とあるウイルスに対抗できる血清が出来上がった。
 それを作り出した研究者は声高々に叫ぶ。
「みんな、聞いてください。人狼ウイルスに対抗できる血清が出来上がったぞ!」
 手にした血のように赤いアンプル。人々は救世主のもとに集い、村人全員にそのアンプルを渡してくれるように頼んだ。研究者は妖しげに微笑み、アンプルを振ってみせる。
「皆様の分の血清はございます。ですが、私からもいくつかお願いがあります。あなたがたの持っているダイヤモンドの原石をすべて私に下さい。そして、安全に逃げおおせる手はずをして欲しいのです」
 人々はその、あまりに足元を見た要求をした研究者を避難したが、結局は生命には換えられず、その条件を飲んだ。村で発掘されたダイヤモンドの原石は木箱に詰められ、研究者の前に並べられていく。その数は十数箱にも及び、原価にして一千万メルは下らない量だった。研究者の指示でその箱が屈強な男たちの手によって、村に一台しかないバスに詰められていく。
 研究者はすべての箱がバスに収まったことを確認すると、村人全員に幼い者から順番に血清を注射していった。子供から年寄りまで全員に注射し終わると、バスの運転手をしている若者を貸してくれるよう村長に頼み、そのままどこかへ去って行ってしまった。
 その行方を知る人はおらず、送って行った運転手もエリニアのあたりで忽然と姿を消していたと証言するばかり。一晩に起きた事件は謎ばかりを残して、訪れていた村人と共に姿を消した。今残るは無残に掘り返された畑と人狼村という不名誉な俗称だけである。
*
 こんな村に生まれたことがそもそもの間違いだった。村人の大半は生まれたここで育ち、この村を出ることなく老いて、この村に墓をつくる。ただそれだけの人生。毎日がただ平凡に過ぎ去り、誰にも知られることもなく消えていく。
 まっぴらだ。それも全てこの村にある掟のせいだった。十六に満たない者が村から出ることを禁ずる。その馬鹿げたルールのせいで俺は未だにこの村から一歩として出たことがない。
 無論、反抗して出ようとしたことはある。だが、それも一人の大人に見咎められて失敗した。村中の誰もが嫌うその男の手を振り払うことができず、幼かった俺は後ろ襟を掴まれてぶら下げられた。
「お前、死にたいのか?」
 抑揚のない声で男が言ったのをよく覚えている。冗談や何かで言ってるのではないと本能的にわかる。それは果たして男の手によって殺されると思ったのか、村の通説である森にいる人狼に喰われるという意味だと取ったのかは覚えていない。ただ、恐怖だけ胸の奥に刻み込まれていて、それ以後は挑戦することすらできなかった。
 村からの脱出方法は一つしかない。村から定期的に出るバスに乗ることだ。バスは大変丈夫に作られていて、生半可なモンスターじゃ傷一つ付けることのできない特注品らしく、村から唯一安全に出ることのできる方法だといえる。時折このバスに乗って行商人がきたり、村人が仕事をしに行ったりしているが、一番多いのは町に行ったまま帰ってこなくなることだった。
 その馬鹿げた掟と未来のないこの村に愛想を尽かしている村人は大勢いた。人口減少はとめどなく、今ではビクトリア大陸有数の寒村といっても差し障りがない。なにしろ村人が村長を含めても十人しかいないのだから、当然だろう。
 無論、俺もこの村から出るつもりだった。十六の誕生日を目前に控え、周囲の反対も無視して荷造りも終えている。あとは、ただ日が経つのを待つだけ。あと三夜で俺は鳥籠の中から解放される。そう思うと気分がほんの少しだけ明るくなり、枕代わりに組んだ腕に頭をのせて目を閉じた。
 俺は村の広場に寝転がり、代わり映えのしない日光を受けて目を覚ます。ほんの少しだけまどろんだつもりだったのだが、いつしか夜が明け、朝になっていたようだ。
 肺に新鮮な空気を取り入れ、井戸の水を汲んで顔を洗う。冷たい水に一瞬で眠気が吹き飛び、意識が覚醒する。あと二晩、今日明日を無事に過ごせれば、町行きのバスが出る。
「ポーラ、おはよう」
 突然声をかけられ、慌てて後ろを見ると幼馴染の少女マイが立っていた。
「なんだよ」
 俺がぶっきらぼうに答えると、マイはポケットから取り出したハンカチを俺に手渡す。俺はそれを受け取らずに両手で顔を拭った。
「意地っ張りなんだから」
 そう言うとマイは無理やり俺の顔にハンカチを押し当ててくる。身長でも腕力でも負けていた俺はなすすべなく顔を拭かれ、情けない顔を笑われる。いつものこと、けれどもそれも今日明日で終わりなのだ。せいせいする反面、少しもの寂しい気分にもなった。
 マイは幼馴染と言っても俺よりも四つも年上で、いつも俺のことを弟扱いする。同世代の子供がほぼいないとはいえ、この村最年少のガキとして扱われるのはもううんざりしていたが、マイだけはいつもこの調子なのだ。
「もう、俺だってガキじゃないんだからっ!」
 むきになる俺を見て、更に笑うマイ。何がおかしいんだと抵抗しようとするも、いつもの朝にほんのわずかな違和感を覚えて、押し黙る。なにかがいつもの朝とは違う気がした。五感、もしくは六感のうちのどれかが俺に異常を知らせている。
「なに難しい顔してるのよ。また何か難しいことでも考えてるの?」
「うまく言えないんだけど、何か変じゃないか? 俺は十五年間ずっとこの村にいるけど、いつだってこの村は同じだった。でも、なんか……今は変だ。よくわかんないけど」
 不思議そうな顔をして、俺のことを見ているマイ。ふと顔を逸らし、村の中心にある柱時計を見た瞬間に、マイの顔から柔らかな笑みがすっと消えた。
「なにあれ……?」
 すぐさま俺も柱時計を見る。マイの尋常じゃないものを見た表情。それが違和感の答えに違いなかった。いつもと変わらない柱時計。時たまやかましいアナウンスが備え付けのスピーカーから流れるそれの朝日で逆光になった見えづらい位置に何かがぶら下がっていた。それが何か分かった瞬間、俺とマイの喉から同時に絶叫がほとばしる。
 狭い村だ。朝早くから村中に響き渡った俺たちの悲鳴は村人たちの耳にも届き、聞きつけたそれぞれがなにごとかと自宅から飛び出してくる。
 最初に口を開いたのは村のムードメーカーである何でも屋のシゲだった。
「村長が……吊られてる」
 出てきた村人の大半が絶叫する者と絶句する者に二分される。その中で一人だけ、冷静に行動している人間がいた。
 全身を黒で覆い、顔の半分を覆面で隠した男、カタールだった。いつの間に起きだしてきたのかも気付かれないほどの静かさで村長らしきもののそばに立って傷口を凝視した後、おもむろに村長の目を開く。
「完全に瞳孔が開いている。死因は首からの失血死。死後にここに吊るされたようだ。死後硬直もかなり進んでることから死後半日は経過しているな」
 それだけ言うと、村長だったものから興味を失ったのか、時計から降ろすこともせず歩き去るカタール。その背中に向けて中年の男と若い女からのヤジが飛んだ。
「お、お前だ! お前が村長を殺したんだろ!!」
「このッ、殺し屋野郎!」
 殺し屋と呼ばれたカタールはそんな彼らを初めから相手にせず、自分の家まで歩いて行く。密集している居住区から一際離れたそこがカタールの家だった。さっき、若い女が殺し屋といったのもあながち間違いではない。俺ですらカタールは凄腕の殺し屋だと聞いたことがあった。
「だ、誰かッ! 村長さんを降ろしてあげてください。お願いします!」
 誰とも言わず哀願したのは村の唯一のシスター、マリアだった。さっきヤジを飛ばしていた壮齢の男が、恐る恐る村長の亡骸に近づき、両腕で抱えるようにして村長を降ろす。目を見開いた村長の顔が日の光に浮かび上がり、赤く染められた首から下の衣服が既に意思無き者だということを無情に知らせている。
「誰が、どうしてこんなことに……」
 マリアが我先にと村長の傍らに座りこみ、十字を切る。黙したまま祈りを捧げるマリアに、カタールを除く村人の全員がまぶたを閉じた。黙祷を捧げるという神聖で侵されざる時間。それが拡声器により最大限増幅された音声により、瞬時にかき消される。
「人狼村の皆様、初めまして。突然のことで申し訳ありませんが、あなた方村人さんたちの中に二匹の人狼が潜んでいます。生き残りたければ二人の人狼を見つけ出し、処刑してください。それではあなた方に神のご加護があらんことを心からお祈りしています!」
 柱時計に備え付けられたそこから発せられた声は村人の誰のものでもなく、軽薄で慇懃無礼な道化のような声だった。空気を読むという通例からは最も遠いところに存在するように思われる。
 誰も自分の置かれている状況を理解できずに、その場に立ち尽くしていた。それが一日目の朝の出来事で、すべての悪夢の始まり。


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