夢はいつか醒めるということが分かってるから楽しいのであって、現実に同じことが起 こったとすればそれは悪夢としか言いようがない。現実は醒めることがなく、巻き戻すことが出来ず、起こってしまった出来事は変わることがない。
 付加逆の世界だからこそ、我らは出来るだけで最善の選択をしようとし、残された結果と変わることのない過去に後悔する。
 かくいう我も……自らの軽率な行動に心底後悔している。そう、今この時でさえも。
*
 寝癖も直さぬまま旅館を飛び出した私たちは、走り出してまもなく見慣れた二人の姿を発見した。一人とひとつが倒れていたのは鳥居の真下。ふさふさと茂っ た芝生の中、転がったレフェルのすぐ そばに食べかけの毒々しいピンク色のキノコが放置されている。
 その髪のように青ざめた顔の口端からは泡、身体はビクビクと小刻みに痙攣している。レフェルはなんかよくわからないけど、シュウがこんなやばそうな状況 なのに全く何も喋らないんだから、これもやっぱりキノコを食べての中毒症状だとしか思えない。もしあれが毒キノコだとすれば、一刻を争う。
「グミさん、早くディスペルを!」
 言われなくても分かってる。詠唱自体は初めてだけど、魔力を集中してディスペルを唱える。輝く魔力の羽毛が広がり、シュウとレフェルを苦しめているキノ コの効果を消し去る……ハズ。
 一瞬の沈黙。確かにディスペルは効いたはずだけど、シュウの容態は変わらず。呪文の効果を消し去る呪文って本には書いてたけど、ヒールとかとは違って何 か効果を起こす呪文じゃないから分かりにくい。
「これ、効いてるのかな?」
「わかりません……」
 やっぱり呪文の効果と中毒とは違うかもしれない。一応ヒールもやってみるけど、これまた怪我をしてるのとは違うから目に見える効果はない。どうして私の 呪文には効果がよく分からない、目に見えないのが多いのだろう。これじゃ、まるで何もしてないみたいだ。
 一瞬もっと他の魔法使いのように氷の塊をぶつけたり、炎の矢を射たりと派手な技が使えたらと思ったけど、それより今はシュウとレフェルをどうにかするの が先決だった。でも、私の魔法がダメとなると他の方法を探さなければならない。心当たりは全然なかった。
「ど、どうしよう。こういうときはお医者さん……お医者さんってどこにいるの?」
「出店とか神社ならありましたけど、病院はちょっと」
 カニングならお医者さんはいるけど、今ここはジパング。土地勘もないし、こういうとき頼りになるレフェルも今はこんなだ。だったらキノコの毒をなんとか する解毒薬を探さなきゃ。でも私が覚えてる限り、薬屋なんてものはどこにもなかった。
 お医者さんもいない、薬屋もない。私の回復魔法は役に立たず、ユアさんにも解毒の術はない。ちょっと目を離した隙にあのバカは走って行って、手の届かな いどこかに行ってしまった。私がもうちょっとしっかりしていれば……あまりの無力さに涙が零れた。
「シュウ、シュウ! 目を覚ましてよ……」
 私は崩れるようにしてシュウの胸に顔をうずめて泣き出す。顔全体で感じる熱い胸からは苦しそうな早鐘が聞こえ、シュウの身の危険を知らせている。いくら 揺り動かしても、泣き喚いても返事はない。何も出来ず、ただ見守るしかできないのが悔しい。
 ああ、神様。まだ年始二日目なのにあんまりです。返事なんてある訳ないと知りつつも祈ってしまう。泣いたり、祈ったりするくらいでシュウが助かるのであ れば、涙が枯れても、声が嗄れても構わない。
 ふいに太陽のように温かな手が私の頭を撫でた。悲しみにくれる私を見て、ユアさんが同情してくれたのかもしれない。しかし、予想とは裏腹に私を慰めてく れていたハズのユアさんの声が背中のほうから聞こえた。
「グミさん……シュウさんの目が開いてます」
「えっ!?」
 そう言われてすぐに顔を起こしてみると、涙でぼやけた視界の真ん中にぼんやりと目を開けたシュウの顔が映っていた。ユアさんのものだと思ってた手も実は シュウのものだったようだ。
「くっ、酷い目に遭った」
 仰向けになったままゲホゲホと咳込むシュウ。つらそうではあったけど、言動はとてもしっかりしていて、命に別状はないようだった。
「いくらバカだからって道端に生えてるキノコなんて食べないでよ! 心配したんだから!」
 今生の別れとばかりに泣きはらしていた私だったけど、すぐに涙をぬぐって感情的に怒鳴る。シュウが死ななくてすごく嬉しい、その感情の裏返しだった。そ のとき、目を覚ましたシュウと初めて目が合う。
「……っ!?」
 ぼんやりと開いていたシュウの双眸が何か衝撃的なものでも見たかのようにきゅっと絞られ、突然顔を逸らした。私のほうに向けられたシュウの頬はついさっ きまで顔面蒼白だったにも関わらず、今は朱でも落としたかのように急激に赤みを帯びていた。
 顔を逸らしたまま硬直してるシュウを見て、さっきどこかに飛んでいった心配性が帰ってくる。もしかしたら、またキノコ中毒の症状が再発したのかもしれな い。そう思ってしまうほどに挙動不審だった。
「シュウ?」
「あ、あぁ……」
 シュウはほとんどうめき声と勘違いするほど曖昧に言葉を返す。顔は横に向いたまま、鼓動が外まで聞こえるくらいに胸が高鳴っているのが分かった。
「本当に大丈夫なの? 胸とか苦しくない?」
 あまりシュウらしくない態度に違和感を覚えながらも、顔を覗き込んで聞いてみた。するとシュウは少し黙ってから、目を逸らして言った。
「……お前がそこにいると、少し苦しい」
「えっ、それってどういう意味?」
 私が驚いて聞き返すと、シュウは頬を染めたまま上半身だけ起こし、耳元でささやく。そして、そのままそっと腕越しに私の背中に手をまわす。いきなりだっ たから、心の準備が出来ずになすがままにされる。首筋にかかる熱い吐息を感じる。
「グミのこと見てると……ドキドキする。でも、それ以上に……ごめん。なんか、俺……」
 シュウはそこまで言って、ぎゅっと私のことを抱き寄せる。こんなに近くでシュウの顔を見たのは初めてで、シュウの体温が温かくて、そんなに強く抱きしめ られているわけじゃないのに身体に力が入らない。
「あっ」
 私たち二人、すっと体の芯が抜け落ちたかのように、抱き合ったまま芝生へと横倒しになる。目と鼻の先にいるシュウから私の鼻孔をくすぐる甘い匂いがし た。シュウは私の意志なんて関係なく動いてるはずなのに、全然嫌じゃなくて……熱い吐息も濡れたような瞳もふとした仕草でさえも、私を気遣ってくれている ようで、心地よかった。
 いつの間にか私はまぶたを下ろしていた。無意識に目の前の現実を直視するのが怖くなったからかもしれない。あるいはそれが幻かもしれないと思うと怖いの か。とにかく、私は両目を塞いだまま……シュウが来るのを待っていた。私はもしかするととんでもない事をしてしまってるのかもしれない、そんな背徳感でさ えも甘美な媚薬となって私を無抵抗にさせていた。
「しゅ、シュウ……私も」
 今までずっと言うことが出来なかったコトを、初めて口に出せる。すぐ近くにシュウがいて、あの夢のように私のことを抱きしめてくれている。夢の内容は はっきりと覚えてる、もしこれが正夢なら私が最後まで言う前に、優しくキスで言葉を遮るはず。そう、まるで言わなくてもわかってるとでも言うかのように。
 唇と唇が触れ合う瞬間、息の止まりそうな静寂が……シュウの濁った悲鳴で一気に現実に引き戻された。うげっという苦鳴と共によくわからない液体の飛沫が 顔にかかり、びっくりした私は思わず目を開ける。すると、目の前には顔面に鋼鉄の球がめり込み、泡を噴きながら悶絶しているシュウがいた。
 不意に湧いた理解不能の状況に混乱しながらも、一撃でシュウを昏倒させた凶器……レフェルが飛んできた方向に振り返る。そこには顔を耳まで赤くしたユア さんが立っていた。
「グミさん、その変態から離れてください!! 完全にキノコ中毒です! うつりますよ!」
「ゆ、ユアさん。その、落ち着いて。何がなんだか……これはその、違うの」
 そう言いながらも、今頃になってユアさんに今までのこと全部見られてたことに気付いて、溢れんばかりの恥ずかしさがこみ上げてくる。否定しようにも、ユ アさんがレフェルを投げてくれなかったら、今頃私はどうなっていたか、自分でもわからない。罪悪感と恥じらいが頭の中でぐるぐる回って、上手い言い訳など 言えるはずもなかった。
「グミさん、いいから離れてください。その二人危ないんです。私も危うくレフェルさんに……あっ、なんでもないです! とにかくその二人から離れてください」
 私はよくわからないまま頷き、完全に意識のないシュウとレフェルを放置してユアさんの元に行く。ユアさんは後ろに下がるように言って、私が安全なところ に行ったことを確認すると大きく深呼吸して言った。
「落ち着いて聞いてください。シュウさんが目を覚ましたと同じ時にレフェルさんも目を覚ましたんで、その時に話を聞いたんですが……レフェルさんによる と、シュウさんが朝早くに散歩してたら知らないおじさんから、『ユメミダケ』っていうキノコがあって、それを食べるといい夢が見れる聞いたそうなんです。 それがその青いキノコらしくて、それをシュウさんは二口、レフェルさんは大きな一片を口に放り込まれたらしいです。そしたら、数秒後に卒倒したらしく て……今に至るわけだそうです」
「なんで知らないおじさんの言う事鵜呑みにして生でキノコ食べてんの?」
 知らないおじさんについていくどころか、毒ともわからないキノコをあろうことかレフェルにも食べさせるなんて、常軌を逸してる。というよりも、ほとんど 天文学的なレベルのバカだ。
 しかし、ユアさんはシュウを指差して大真面目に言った。
「シュウさんからなんか甘い匂いしませんでした? あの匂いをかぐとなんかおかしくなっちゃうんです。シュウさんも元々某魔法のキノコみたいに精製してから使おうと思ってたらしいんですけど、匂いに釣られ て食べちゃったみたいです」
 言ってることは滅茶苦茶なんだけど、ついさっき体験したことだから嫌になるほど分かった。つまり、シュウ自身も訳が分からないまま、あんなことやこんな ことになった訳か。きっと今頃はさっきのことも全部忘れてるに違いない、よかった。
 でも、ここでひとつ疑問が浮かぶ。なんでそんな風にいろいろ教えてくれたレフェルのことをシュウに向かって放り投げたんだろう。疑惑のまなざしを送る と、ぎくっと効果音が出るほどにユアさんが反応する。
「ユアさん、何か隠してるでしょ。何でレフェル投げたの?」
「そ、それはグミさんのことをお助けしようととっさにですね……」
 そっちのネタを持ってこられるとこっちも弱い。でも、こっちも負けてられない。ユアさんは絶対に何かを隠している。
「嘘、ついてるよね。どうして嘘をつくのかな」
「う、嘘なんてついてません」
「嘘だッ!!」
 その瞬間、世界が止まった……気がする。声が木々の間をこだましたりして、驚いた鳥とかも飛んでった感じだ。そのときに私がどんな顔をしてたのかは ちょっとわかんないけど、ユアさんも観念したらしく本当のことを話してくれる気になったようだ。
「本当のこと言うので、そんな死んだ魚みたいな怖い目しないでください……。レフェルさん、初めはなんともなかったんですけど……話してるうちになんだか 言動がおかしくなってきて、私もなんだか頭がボーっとしてきて、レフェルさんに言われるがまま、成すがまま……こ、これ以上は言えないです。後は気付いた ら投げてました」
 伏せた部分は本当に言いたくないことなんだろう。これ以上突っ込みすぎて私も言いたくないことを聞かれたりしたら嫌なので、お互いにおかしくなった時の 話はしないことに決めた。これは悪い夢だったということで、とりあえずは現状の感染者二名をどうにかしないといけない。
「あの匂いを嗅がなきゃ平気らしいので、息を止めて二人を拘束しましょう。起きだしたらいろいろ大変ですから」
「わかった。ユアさんはシュウを持ち上げて。それを私がレフェルの鎖で縛るから。絶対匂いを嗅がないように気をつけてね」
 私たちはそれだけを取り決めると、息を止めて二人のところにそっと忍び寄る。ユアさんはさっきの話通り両手でシュウのことを持ち上げて私はレフェルの鉄 球を引き出して、ある程度の鎖を確保し、そのままシュウの両手ごと胴体をぐるぐる巻きにしていく。こうしている間も息を止めていなきゃいけないから大変 だ。ちょっと気を抜くと、さっきみたいなことになってしまうかもしれない。
 私は念には念を入れて数回レフェルの鎖を巻いてから、自分では解けないようにきつく結び、レフェルについてるいろいろなギザギザを引っ掛ける。その間わ ずか一分、ほんのわずかな時間に見えて、一切のミスが許されないすごく長い時間だった。私はアイコンタクトでユアさんに合図を送り、二人を鳥居の下の捧げ 物の様に放置して、安全な場所まで一時退避する。そして、大きく息を吸い込んだ。
「はー苦しかった。とりあえず、対策はしたけど、ほっといてもあのキノコの中毒って治るのかな」
「レフェルさんが夢と名がつくだけあって、効果は一日きりだって言ってました。だから、一日あそこに放っておけば大丈夫だと思います」
 後は寝てる間にでも誰かが近づいたら大変だから、『猛獣! 近寄らないでください』とでも立て札を立てておこう。その間私たちは今日の疲れを旅館でゆっくりしてればいい。できれば、シュウに無責任なことを教えたお じさんをとっちめてやりたいけど、今はそれすらもしたくないと思えるくらい疲れていた。
 しかし、そんな中でもある違和感に気付く。なんだか手がよくわからない液体で濡れていた。ついさっき、ここでユアさんと話してる時はこんなことなかった から、ついさっき付いたに違いない。そしてシュウはユアさんが担当してたから、私の手に触れたものはレフェルだけだ。
「ユアさん、なんかレフェルが濡れてたんだけど……なんだろう、これ」
「し、知りません。汗かなにかですよ、きっと。わたし、舐めたりなんてしてないですから……あっ」
 レフェルのやつ、メイスのくせになんでこんなにモテるんだろう。この時のユアさんときたら、同性なのに軽くジェラシーを抱くほどの可愛さだった。
*
 一日後、昨日と同じ明け方にシュウとレフェルを見に行くことにした。シュウは昨日からキノコ以外何も食べてないはずだから、旅館のおじさんに無理を言っ て早めに朝食を用意してもらった。
 私もシュウと一人で会うのは少し気まずかったし、ユアさんはレフェルと顔をあわせられないって泣いて嫌がったけど、きっともう忘れてるって言いくるめて しぶしぶながら付いてきてもらった。
 捨て猫に餌をあげる感覚で、朝食の乗ったトレイを持って歩いていく。もしかしたら、いなくなってるかもしれないと不安だったけど、昨日と同じように鳥居 の下にぐるぐる巻きで転がっていた。
「シュウ、レフェル……大丈夫?」
 昨日はちょっと近づきすぎてたので、二メートルくらい離れた位置から聞いてみる。
「腹減ってるが大丈夫だ。なんでこんな状態になってるかわからんが」
 どうやら大丈夫みたいだ。しかも、昨日のことも覚えてないと来てる。私は芝生の上にトレイを置いて、ユアさんと二人掛かりでシュウとレフェルのロックを 解除した。レフェルもどうやら自分がどうしてこうなっているのかはよくわからないらしい。でも、二人揃って気になることを言い出した。
「しかし、暇だったからレフェルとずっと話してたんだが、全くいい初夢見たよな」
「ああ、極上の夢だった。夢とはいえ、あんなことやこんなことまで」
「俺なんてもう十分長く夢見ていられれば、どうなってたやらだぜ」
 二人は好き勝手なことを言い合った後に満足げに、しかしいやらしい目で私たちを見る。私は黙って朝食の味噌汁を取ると、シュウの頭から注いでやった。ユ アさんはというとレフェルの鎖を引き出して、シュウを縛り上げる準備をしている。
「ちょ、グミ……おま、食べ物を粗末にするんじゃあない……うわあああああ!!」
 他の食事もご飯粒ひとつ残らないように頭から注ぐ。ユアさんは熱さで悶えているシュウを強引に押さえつけて、全く身動きできないように頑丈に締め上げ た。私たちはついさっきの状態より酷くなったシュウを尻目に、立て札の文字を書き換えた。
『前科十犯のどうしようもない変態です。構ってください』
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