人も物も、何一つ変わらないものなんてない。
 この一分一秒も常に「今」から「過去」へとシフトしているから。

―かえで 1サーバー フリマ 1番部屋


 今となっては見る影もなくなった場所に背中で別れを告げる。出来るだけ減らした荷物を背負うと、あまりの軽さに物寂しく感じてしまう。
 誤解のないように言っておくが、フリマ自体は以前と同じように賑わっている。一部屋に4、5段はある商業許可地域も、髪の毛一筋でさえも差し挟めように びっちりと埋められている。しかし、それは過去のものとは違う。能面みたいな顔したエルフのNPCが我が物顔で24時間居座っている。

 あの頃はよかった。そんなことを言うようでは商人として失格なのかもしれない。
 今は過疎地といっても過言ではないペリオンも、かつては人のごった返していたという事実を知っている人のうち、どれくらいの数がまだ商いを続けているの だろうか。
 想像を絶する混雑にわずかの迷いが命取りになった青空市場。一瞬のうちに聞こえてくる数人の売り文句や交渉内容も、聖徳太子すらも聞き取れないほどの情 報が溢れていた。その中から必要な情報だけを取捨選択出来るようになるまでしばらく苦戦したことを覚えている。

「いらっしゃい! 安いよ! ほかんとことはモノも質も段違いさ!」

 ありがちな売り文句でさえも、言い様によっては大きな宣伝効果になる。一言一言の僅かな表現の違いにも客は敏感に反応し、流れていくのだ。今まではまる で気に留めなかったそんなことに気づけたのも、この世界に入ってからのことだ。相場や転売などといった言葉を知ったのは、もう少し後のことになる。
 そう、ワクワクドキドキの冒険を繰り広げると言ううたい文句のメイプルストーリーの中で、俺が心引かれたのは戦士でも魔法使いでもなく、商売の道だっ た。
 表向きは低レベルの戦士、周りの同期たちが自らを鍛え、技に磨きをかけていく中で俺は非認定の職業「商人」を選択した。

*

 少し昔話をしようか。これは俺が商人を志すことになる物語だ。
 初めて手にした商品は宝石の原石だった。大陸から離れた孤島から始まった冒険。生まれてはじめてみたでかくて目つきの悪いカタツムリを倒したときに、抜 け殻と一緒に転がっていた石ころを裏返してみると、自然にカットされたガーネットの原石が顔をのぞかせていた。あのときのキラキラした赤を見たときの興奮 は今でも忘れられない。
 自然が作り出した奇跡の結晶を手にした後、俺は経験値効率など無視してデンデンを狩り続けた。
 細身の剣を一振りするたび落ちるメルや、赤や青の殻はその副産物。あくまで狙いは宝石の原石だ。一心不乱に狩り続けた結果、赤の原石ガーネットだけでな く、紫のアメジストや黄色に輝くトパーズなどもドロップすることがわかった。
 あんな体のどこにこんな宝石を隠し持っているのか疑問ではあったが、もしかすると原石はデンデンにとっての守り神とかそういったものなのかもしれない。

 宝石の輝きに魅入られた俺も、デンデンばかりの狩はさすがに飽き、各宝石を十数個拾い集めたところで、大陸へ向かう船の元へと出向いた。近くの商店で宝 石以外の殻を全部清算しておいたので、そのときは既に船長が告げる船賃は10回くらいは往復できるほどのメルを手にしていた。
 今となってはわずか3k。だが、初心者だったあのとき、3kは間違いなく大金であり、集めた宝石の原石と合わせ見るとものすごい金持ちになった気になっ たものだ。

 しかし、船に乗った先の世界は違った。自分の生まれた世界の数倍は広い、ビクトリア大陸での3kはそれこそはした金でしかなかった。そのことに気づかさ れたのは一番近くの商店で武器を新調しようとしたときのことだ。

「カール帯剣かい? 3kだよ」

 はっきり言ってたまげた。回復薬代やタクシー代を考えると、とても払える額ではなかった。休み休み徒歩で別の町を目指すにしても、まだ初心者を脱出して ない自分にとっては長い道のりだ。
 しかし、驚いたのはそれだけではない。実はそのときに、ダメ元で宝石の原石をいくらで買い取ってくれるか尋ねたのだ。形は悪いが、それでも磨けば光る宝 石だ。それなりの額にはなるだろうとタカをくくっていた。

「一個150メルってとこだね。全部で40個だから、全部売ると6k。それ以上は出せないよ」

 一個150メルだって? あんなに苦労して集めた宝石が150メルだなんて、是が非でも認めたくなかった。この店主は俺のことを田舎者だと思って買い叩いているのだとも思った。
 結局俺は武器を新調することを止め、店を後にする。向かう先は転職情報兼タクシーの男だ。やつの説明を聞くまでも無く、俺がなりたい職業は決まってい た。
 俺よりもほんの少し先に旅に出た友人が言っていた言葉を思い出す。

「魔法使いはMP回復薬。盗賊は手裏剣。弓使いは矢に金がかかる。その点、戦士は地味だけど一番金がかからない職だよ」

 そういっていた友人も今は魔法使いで、魔法の使いすぎで始終金欠だそうだ。誰もが強さを求める中で金を選んだあたりも俺がこの道に入った理由のひとつか もしれない。

「戦士になりたいのかい? ならペリオンにいってコブシの旦那に会うんだな」

 男は俺の申し出を聞くと、笑って転職までの手引きをしてくれた。初心者だというと、特別にタクシー代も負けてくれるそうだ。俺はありがとうと一言いい、 ビクトリア中を昼夜問わず駆け回っているタクシーに飛び乗る。どんな走り方をしたのか、歩いて半日はかかるペリオンまでの距離を、タクシーは五分もたたな いうちに走破し、ペリオン前のタクシー乗り場に俺を放り出して次の客を乗せていった。
 砂煙とともに取り残される俺。いきなり見知らぬ地で取り残された俺を出迎えてくれたのは、あまりにも騒がしい商人たちの話し声だった。

「おい! コブシんとこでオークションをやってるらしいぞ!」

「ああ。いろいろ掘り出し物もあるかもしれん」

 駆け出していく商人たち。コブシに用があった俺も、これ幸いとそれについていくことにした。
 重そうな鎧に対して商人たちの足取りは軽い。長い階段や縄梯子を一段飛ばしでするすると上がっていく。見た目こそ戦士と魔法使いだが、その目に宿ってい るものは燃えるような炎でも冷たく輝く氷でもなく、金色に光る卸したてのメル硬貨だった。
 慣れない距離を猛ダッシュで駆け抜け、なんとか商人たちに置いていかれることもなく、コブシの転職所に辿り着くことが出来た。扉を開いた瞬間、むっとす る熱気と初めての光景を目の当たりにすることになる。

「おめにかかりますは、35レベの両手剣ハイランダ! 見ての通りドロップ品で僅かに良品にございます! 開始値は100kです!」

「100k!」
「110k!」
「150k!」
「ええい、200だ!」

「はい、200k出ました! これ以上出せる方いますか」

 しんと静まり返る会場。200kだなんて夢のまた夢のような値段だ。今はまだ出品者である弓使いの手の中だが、その輝きは今提示されている金額によって 更に増していくようにも見える。
 200kはやはり大金だったらしく、多くの客や商人が歯噛みしたり、がやがやと交渉したりする。しかし、誰も手を上げて200以上の金額提示をすること は無い。
 司会進行が、もうこれ以上はいないと判断し、ストップをかけようとした瞬間。遅れてやってきた強面の戦士が、すっと手を上げた。

「300だ」

 一気に100もの金額が追加され、騒然となる会場。今まで200を提示していた魔法使いが苦虫を噛み潰したような表情で、遅れてきた戦士を見やる。しか し、戦士は動じない。
 一時のこう着状態。しかし、結局魔法使いの手がそれ以上あがることは無かった。

「それでは300kにて交渉成立です! お二人ともどうぞ」

 予想をはるかに上回るオーバーレイズに司会も出品者も大喜びで交渉に応じる。やり方は仲介人を通した交換。公平な立場で見合った金額を受け取り、長剣を 渡す女弓使い。男は無愛想にそれを受け取ると礼もせずにそのまま会場を出て行った。
 けれども、そんな無礼な態度を見た商人たちも数秒後にはそんなことを綺麗さっぱり忘れ、新たな出品に心躍らされていた。財布の中身と相談する商人も少な からずいる。

「次なる出品は、カール帯剣です! 店売りのユーズド品ですがまだまだ使えます!開始値はケチ商店の買い叩き値の1,5から!」

「1,5k!」
「1,6k!」

 しかし、そこで一時コールが止まる。いかにも金を持ってそうな商人たちは目もくれず、次の商品を買う算段を立てている。ちなみにこれに手を上げたのは数 名の初心者だったが、二人とも財布と相談した上でのギリギリの額だったようだ。
 そこで、あることに思い至る。さっき3kと言われた武器も、ここで名乗りを上げれば半額近い値段で手に入れられるのではないか。
 財布の中を覗いてみる。さっき武器を買うのを我慢したので、タクシー代と薬代を差っ引いても2k以上は軽くある。この二人を出し抜ける。そう気づいた瞬 間に、うるさい会場全体に聞こえるように大声で叫んだ。

「1,7k!!」

 全員の視線が俺に集中する。少し緊張したが、別段嫌な気分ではなかった。それよりも気になるのはさっきの二人の財布の中身だ。もしも、さっきの予想が外 れて隠し金を持っているようなら、勝てない。どちらかに剣を買われてしまう。
 しかし、二人は財布をポケットにしまい、首を振った。やはり1,6kが彼らが出せる精一杯だったようだ。司会は、他にいないことを確認するとさっきと同 じテンションで宣言する。

「はい、1,7kでカール帯剣落札されました!同額を提示した方、こちらへどうぞ」

 俺は人の波を押し分けるようにして、司会の前へなんとかたどり着く。交渉相手は俺より一回り小さな少年の盗賊だった。少年は愛想良く笑って、俺に話しか けてきた。

「落札おめでとうございます。えと、お名前はなんていうんですか?」

「青といいます」

 俺は自分の名前を名乗り、司会進行になけなしの1,7kを手渡す。青という名前は自分の好きな色の順に登録していって、一番最初に使えた色だった。特に 意味があるわけではないけれど、今は少し思い入れがある。

「青さんですね。僕はリーフェン、親しい人はリィって呼びます。お古ですけど、大切に使ってくださいね」

 リーフェンと名乗った少年は司会を通さず、俺に手渡しで剣を渡してくれた。ずっしりとした重みと、使いやすいように握りの部分に巻かれた包帯が俺の手に よくなじむ。

「ありがとうございます。大事に使わせていただきます」

 心から礼をし、出来るだけの笑顔で微笑み返す。少しぎこちなかったかもしれないけれど、相手も気を悪くしてなかったみたいなのでよかった。
 そのリーフェンも交換が無事終了すると、出品者から元の客へと戻っていく。真剣なまなざしに宿るのは争い以外の戦いに向けられる情熱の炎。

 多分、このときだった。俺が商人という生き物に興味を持ったのは。
 デンデンを倒すことでは得られない、人と人との交わり。新たな資金を手に入れるためのメル。希少なものやチャンスに巡り合った時の興奮。
 すべてが新鮮で、バックパックの中の宝石のように色とりどりに輝いていた。
 手持ちのメルがほとんど無くなった俺は、手に入れた剣を腰に下げ、額の汗をぬぐいながら最後までオークションの流れを目に焼き付けた。

「本日のオークションはこれで終了でーす。また開催をお待ちください!」

 司会が終了のアナウンスをすると、騒がしかった商人たちの波がさーっと退いていく。司会は後片付けに追われ、ついさっきまでの賑やかであると同時に戦い のようなスリルのある空間は、元の転職場に戻っていた。
 そして、部屋から活気が消えて、ようやくここに来た本来の目的を思い出す。こんなにも騒がしかったオークションの中、一言も発せずにずっとそこに座して いた。拳を握って立てという変わった名の持ち主であり、すべての戦士の始まりとなる存在。
 その重く、厳粛な声が俺の名を口にした。

「青といったか。この街が気に入ったか?」

「はい。とても」

 コブシははっはっはと豪快に笑い、俺の顔を見ると、急に真剣な顔になっていった。

「一般に商人は卑しき職だと言われている。しかし、俺はそうは思わん。彼らは戦っているのだ。拳ではなく、その知識と胆で」

 コブシの言葉が俺の心に染み込んでいく。一つ一つの言葉の響きが胸を奮わせる。

「ここは戦士に転職する場所だが、何も心まで戦士になる必要は無い。譲り受けた剣をかざしてみよ。戦士にとってのその剣は敵を切り裂くためだけにある。し かし、商人にとってその剣の価値は切ることだけではない。商品としての価値、交渉道具としての価値、絆としての価値……それぞれの価値を秘めている」

「絆?」

「そう、絆だ。青よ、お前には素質がある。戦士の道を歩むか?」

「はい。身体は戦士に、心は商人に」

 コブシはがはははと大声で笑い、俺の頭に手を置いた。温かく、そして強い手のひら。

「はっはっは。正直だけでは商人をやっていけないかもしれないぞ。まぁ、よい。お前は今から戦士だ。戦士の基礎が書かれているこの本を持っていけ。金に 困ってもこれだけは売るでないぞ」

 俺はコブシの冗談に笑い、差し出された本を受け取る。身体にはこれといって変化が無い。でも、心の中は以前とはまるで違っていた。
 コブシの前から去る前に深く礼をし、転職場を出る。部屋から出ると既に外は夕方で、冷たく澄んだ空気が肺に流し込まれた。冷たい風と真っ赤な夕焼けの 中、俺は緑を基調にした衣をまとった少年と出会う。さっきの交渉相手、リーフェンだった。

「待ってたよ。君と初めて会ったとき思ったんだ。仲良くなれそうって」

「俺たち、もう友達かな」

「うん。一緒にこの世界で商売しない?」

 俺は大きく首を縦に振る。微笑むリーフェン。赤く染まった景色の中で、お互いの両手を握り合う。
 紛れも無い絆だった。

fin.