#58 真実の一端
「信じらんない……もう嗅ぎつけたっての!?」
 画面に映る少年の背を睨み、腹立たしげにこぼす弥生。握った拳には汗が滲み、爪が食い込んでいた。
「「弥生。あいつはターゲットに入っていない。始末するか?」」
 二人の人間が異口同音、それどころか声質までも同じに弥生へ通信する。弥生は返答の代わりに固めた拳をデスクへと打ちつける。
「……あいつには手を出さないこと。そうルールに書き加えておきなさい。あいつは私がやるわ」
「「了解」」
 弥生はおもむろに通信機器を取り外し、開けた胸元を通して腰のポーチに放り込む。続けてデスクに忍ばせてあった拳銃を手にし、ためらうことなくセキュリティを外した。内心、弥生はこんなもの気休めにもならないことを知っている。第五の季節の切り札にして、最悪の相手、葉月錬司は人の姿をした悪魔だ。
「邪魔はさせないわ」
 誰に言うでもなく弥生は一人、決意を固める。あたかも死地に向かう兵隊のように。
*
「ここで会ったのも何かの縁かな」
 金髪碧眼の男、葉月錬司は何の脈絡もなく、そう口にし、手にしたダーツをひらひらと振る。しかし、俺たちからすれば縁などというものはまるで感じないし、どちらかと言えば厄介事が増えたようにしか思えない。
「何の用だ」
 無愛想なセリフを吐き、右手のナイフで威嚇する。どんな振る舞いをしようが所詮こいつはテロリスト。警戒はいくらしても足りないくらいだ。大体、こんな山奥で偶然会うことなどあり得るはずもない。
「いや、だから君たちに用はなかったんだよ。僕の用はこの先にある施設でね。とある検体を一人始末して来いと言われてる。その道中で偶然君たちに会った。ただそれだけのことさ」
 聞いてもいないのに勝手に情報をぺらぺらと喋る金髪男。何を言ってるのか半分も理解できないが、どうにも敵意はないようだ。しかも、錬司のおかげと言ってはなんだが、刺客が次の時間までのダーツを打ち尽くしたおかげで、向こう一時間分の余裕が出来た。
「おい、テロリスト。始末するとはどういう意味だ」
 そこで喰い下がるのかよ。俺は今にも噛みつかんばかりのあすかを後ろ手で抑え、余計なこと言うなと小声で言う。確かに聞き捨てならないセリフだが、それを止めることで俺たちまで始末の対象になっては笑えない。
 しかし、それを聞いた錬司はと言うと、面白そうにあすかを眺めた後、張り付けたような薄い笑みを浮かべて説明し始めた。
「始末するっていうと、そうだねぇ。無かったことにする。隠滅する。対象が人間の場合は殺すってことかなぁ。でもね、物騒なことを言ったけど、今回の場合はそのどれでもないんだ。なんせ、相手はもう既に生物学的には死んでるから」
 嬉しそうに死んでるだの、殺すだの言っているがその表情は酷く冷たく、不気味だった。あたかも今日は燃えるゴミの日だから可燃ゴミを出すよとでも言っているみたいだ。
「言ってることが良くわかんないって感じかな。まぁ、いいや。君たちは敵だけど、運命共同体のようなものだし、言っちゃおう。実はこの先の研究所にはルナチルドレン最高の脅威にして、唯一の失敗作が眠ってる。二度と冷めない眠りだけど」
 何を言っているか分からないというより、何が言いたいか分からない言葉ばかりを並べたてるこの男の本心がわからない。ルナチルドレンと言うことは、俺たちと同じ境遇の誰か。つまり、陰暦の姓を持つ何者かがこの近くにいるということだけはわかった。
 不審そうな視線を送る俺たちを見て、テロリストの男はからかうように言う。
「君たちも一緒に来るかい? といっても僕がやることは何一つ変わらないけどね」
「断る。行く理由が無い」
「君たちを襲っているあの二人組と関係あるとしても、かな?」
 不敵に笑い、俺たちの反応をうかがう葉月。嘘を言っているようには見えないが、その眠ったままのルナチルドレンと刺客がどう関係しているのかまるで想像できない。ただ、俺たちをからかって遊んでいるだけなのだろうか。
 思考だけが巡り、貴重な時間が過ぎていく。悩み苦しむ俺を見て葉月はどことなく喜んでいるようだった。この上なく腹が立つが、それでもほいそれと決められる問題では無い。
「聖」
 俺の袖を引き、上目遣いで俺のことを見るあすか。ついていこうとそう視線が語っている。
「わかったよ。正直、今の状況には困り果ててる。そこに行けば、この攻撃は収まってくれるのか?」
「うん、収まるよ。あの連携攻撃は間違いなく神無月のものだ。神無月の止まらない攻撃衝動を抑えるには殺すしかない。ついて来て」
 葉月がそう言い終えるといつの間にか火の点いた煙草がくわえられていた。

 テロリストの男、葉月錬司は厳しい山道をそれこそ整備されたアスファルトの上を歩くようにすいすいと登っていく。俺は傷だらけの身体を酷使しながら、しかもあすかを連れてなので酷くつらい。錬司もそのことを分かってか、何度か立ち止まりくだらないことから、組織の本質にかかわるだろうことまで話し始めた。
「なぁ、霜月聖君。君はどうして僕らの組織に加わらないんだい? 君も如月君も僕たちと同じルナチルドレンなんだろう?」
「逆に聞かせてくれ。どうして俺たちがそのルナなんとかだったら、テロリストにならなきゃならないんだ?」
 歩き疲れ、だらだらと赤の混じった脂汗を流しながら、俺は答える。至極当たり前のことを口にしたつもりだったが、葉月は意表を突かれた様な顔をした。
「そうか、君は知らないんだね。教えてあげるよ。僕たちはテロリストなんかじゃない。“大後の季節”は元々れっきとした国の機関だ。いわば公務員なんだよ」
「は? 何を言ってるんだ?」
 思わず内心を口走ってしまう。テロリストが公務員だとはまた笑えないジョークだ。これだから外人のジョークセンスは理解できない。
「公務員は言い過ぎかな。国は絶対に認めないだろうしね。でも、僕らの組織は国が作った。そこだけは間違いない。もっとも、僕や君たちを含むルナチルドレンはその構成員ではなく、あくまで試験体に過ぎないんだけど」
「だから、その試験体とか言うのは何のことなのだ? 私も聖もそんな実験をされたことはないぞ」
 疲れたあすかは木に寄り掛かって休みながらも、俺たちの会話に食い込もうと必死に口を動かす。あすかの言うとおりだ。こいつらの言っていることは何もかもわかった上で、わからない俺たちのことをからかっているようにしか聞こえない。
 俺たちが噛み合わない会話に焦れているのを知ってか知らずか、葉月は一度大きく煙草をふかし、横目で俺たちを見据える。
「試験体とはそのままの意味だ。僕たちは人類の新たな可能性を発掘するために創られた。あるいはその才能が認められた赤子として集められた。潜在的に、もしくは生まれながらにしてロストした子供として」
「創られた……だと?」
 一瞬言葉の意味を理解できずに、言葉をそのまま聞き返してしまう。奴は俺やあすかのことを創られたと言ったのか? 俺たちは機械や玩具じゃない。
「そう。大変不本意だけど僕たちは創られた。体外受精にて、あるいはクローン技術の結晶として、または生後数日の内から施設で飼いならされた。記憶に無いのは当然だ。人間は生後三〜四歳の記憶なんて覚えていられないから」
 あまりに重い事実に頭の奥がキリキリと痛む。一瞬の間に脳へ膨大な情報量を詰め込まれた様な感覚、強烈なめまいがした。あすかもそれは同じだったようで俯いて、こめかみを押さえている。
「君たち、四季市にいたルナチルドレンは全員施設から出ていった組だよ。残りは十歳まで施設で育った。僕、皐月、長月、弥生の四人だね。まぁ、弥生は年長だったから僕が小さい頃に出てったみたいだけど」
 ああ、懐かしいなぁと一人思い出に浸る錬司。どうして、そんな人生でそんな表情が出来る。生まれながらに創られた生。耐えがたい、一生ついて回る苦悩。俺にもあすかにも重すぎる。
「葉月……錬司と言ったか」
 頭を抱え、顔を見せないまま、あすかが呟いた。それに葉月は興味を示したようで、わざわざ少し戻ってまであすかに近寄る。無言でたたずむ葉月にあすかは身ぶりだけで耳を貸せと言っているようだった。
「あすか、どうしたんだ?」
 心配で声をかけるが、あすかは何も答えない。前髪で隠れた表情は読めず、今葉月に耳打ちしている内容も聞き取れない。
 しばらく、蚊帳の外にされた後、葉月が神妙な面持ちで咥え煙草を地面に押しつける。
「驚いた。にわかには信じられないが……とても有益な情報として受け取っておくよ。如月あすかは組織に是非欲しい人材として覚えておく」
「錬司、どういうことだ。説明しろ」
 怒りと焦りが入り混じり、急いた言葉を吐く。しかし、葉月は答えない。あすかに直接聞けと言うような素振りで背を向けた。
「あすか……何を言ったんだ」
 わざわざ耳打ちしてまで俺に聞かせなかった言葉をあすかが言うわけがない。そうわかりながらも聞かずにはいられなかった。と同時に聞きたくないという矛盾した気持ちが胸の中で沸き起こる。
「ごめん、今は言えない。ただ一つわかったことがあるんだ。いや、思い出したというべきか。今さっき私のオルタナティブがわかった」
 オルタナティブ。あすかが持つ、人にあらざる能力。それが何なのか、とても想像できない。俺自身自分にそんな能力があることを自覚できていないと言うのに、あすかはどのようにしてそれを知ったのだろうか。俺だけが完全に置いていかれている。
「おい、葉月!」
「聖、彼女は……いや、如月あすかは化け物だよ。彼女の力で世界を変えることさえ出来る」
 背で語る葉月。いくら俺が問いただそうと声を荒上げようとそれ以上、葉月は何も言わなかった。あすかも口をつぐんだまま何も話そうとはしなかった。

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