#23.8 少女VSヤのつく自営業
 一つ、またひとつ。夜空を彩るように鼻が咲いた。その色は彼岸花のような赤。拳、膝、爪先、肘、顔面、それぞれを飛んで火に入る夏の虫の如く襲いかかってくる組織の末端に見舞い、湿った草のベッドへ沈めていく。
「呆れるくらいバカ正直な奴ら」
 一斉にかかってくれば良いものを。一人ずつ背中を押されたように向かってくる様子は、素人の扱うリボルバー、いやぎこちないリレー競走だ。鉄砲玉と呼ぶにふさわしい無能さで突っ込んでくる。八人目を返り討ちにしたところで、構成員たちが足を止める。
「お頭っ! コイツ、思ったよりも……」
「バカかっ! 囲んで袋にしろ!」
 むなしい若頭の怒号にそれぞれものを握りしめ、じりじりと横に広がっていく下っ端たち。その線は次第に弧を描き、俺を中心に歪な輪を作る。
「リーダーも下が使えないと大変だな」
 手に付いた血を払った動作を見て、血気盛んな木刀男がまたも真正面から飛びかかってくる。振り下ろそうとした木刀が俺の眉間を割る直前に、俺の爪先が男の人差し指さし指に突き刺さる。
「ぐあっ……」
 雑魚らしい悲鳴を上げる男。落とした木刀をすかさず空中でキャッチし、前方の男へと投げつける。伏せるもう一人の雑魚の上を木刀の切っ先が通過し、その低くなった頭を俺が思い切り踏みつけた。
轢かれた蛙のような悲鳴を無視し、一人の独断で薄くなった包囲網をやすやすと抜け、その足で指示を出していた男まで駆ける。
「おっと」
 敵の大将の首に手が届く、それを目前にしてさっきの坊主頭と茶髪が長ドスを抜いて立ちはだかっていた。交差されたドスは凶悪な気配を発し、これまで相手をしてきた雑魚とは明らかに違う雰囲気を感じ取る。
「一筋縄じゃいかなそうだ、なっ」
 二人同時に振り落とされた抜き身の刃を鼻先三寸で避ける。予想通り、それなりの使い手のようだ。あのまま踏み込んでいてはナマス切りにされていただろう。たかが高校生相手に大人げなさすぎる。
 俺は後方に注意しながら一歩引いて、前方二人の隙をうかがう。仁王像のように立ちはだかる二人の男はコンビネーションもバッチリで、一分の隙もないように見える。後ろには数だけは多い雑魚たち。背水の陣。逃げ道はない。
「勝負あったようだな。ガキ相手に手こずりやがって」
 ドスを構えたまま微動だにしない坊主と茶髪。若頭の右手がほんの少し持ち上がり、手刀が俺の心臓を指した。
「くっ……!」
 僥倖だった。あの若頭の余裕と下ろされた右手。動く気のないように見える二人の男。それらをまとめた結果、真実は俺の背にあることを一瞬早く把握できた。
 気づいた時には横に跳んでいた。俺の心臓が合った位置めがけてナイフを突き立てて来た雑魚の一人。恐らくは雑魚に紛れ、俺を闇討ちするつもりだったのだろう。しかし、俺を相手にするにはヒントが多すぎた。
「大体、殺気が洩れ過ぎなんだよ」
 ナイフを持った鉄砲玉の背中を押しだすようにして、思いっきり蹴飛ばす。闇討ち男は初めの勢いもあって、凄まじい勢いで二人の暴力専門家たちに突進する。ドスを捨て、ナイフ男を止めようとする坊主と茶髪の二人。存在しなかった隙が今ここにできた。
 俺は三人もつれ合うようにして固まるヒットマン達をなぎ払うように裏拳を浴びせ、ガラ空きになったリーダー格の男に左手を伸ばす。狙いは首。若頭が懐に手を突っ込み、何かを出そうとしたが、どう考えても俺の方が早い。
「こんな市街でぶっ放す気か」
「ぐっ……」
 喉元を押さえられ、苦しそうにうめく若頭。懐の銃を取り出したら躊躇なく締め落とせるように左手に力を込め続ける。顔面蒼白になりながらも男は、懐に手を入れたまま、絶体絶命の状態にもかかわらず、白い歯を覗かせて……笑った。
「まさか」
 振り向いた頃にはもう遅い。逃げて警察を呼ぶように言ったあすかの姿がそこにあった。その両手はいやらしく笑う男に後ろ手で押さえられ、口には猿ぐつわを噛まされている。
「形勢逆転だな、小僧。今すぐ、この手をどけろ」
「卑怯な大人、だな」
 俺は左手の力を緩め、ゆっくりと両手を上げる。もとより、こいつを絞め殺す気もなければ、あすかを危険に晒すつもりもなかったのだが、何とかなると思った俺が浅はかだった。為す術なし、後はあすかが呼んだ警察が一刻も早くここに駆けつけてくれるのを待つくらいしかできない。
「……ッ!」
 ボーズの拳が顔面を強打した。口が切れて鉄の味がする。倒れそうになるところを誰かに首根を掴まれ、踏みとどめられた後、木刀のフルスイングが脇腹に直撃した。
「ゲホッ」
 息が詰まり、胃の奥からせり上がってきた酸が血と共に吐き出される。それを見たアロハシャツの男の顔が楽しそうに歪んだ。
「調子に乗るから痛い目に合うんだ。普通なら今すぐ殺してるところだが、さっきの立ち回りはなかなかのものだ。お前さえよければ、ウチの組に」
「死んでも嫌だ」
 風切り音と共に俺の胸を抉る茶髪男のかかと。モロに食らった俺は両手を上げたまま、仰向けに叩きつけられる。背骨がきしみ、肺の空気が無理やり吐き出される。強烈な痛みに横隔膜が押し上げられ、呼吸ができなかった。
 奥歯を噛みしめ、悲鳴をこらえる俺を若頭が性の悪い笑みで見降ろして、言った。
「バカはお前だっていうことに気付かんか。頼みの綱の警察は来ない。ほれ、見ろ」
 無理やり転がされた先にいた、あすかの携帯を握ってへらへらしている下っ端の姿を見て、目の前が真っ暗になる。だが、まだ気を失うわけにはいかない。俺が倒れれば、次はあすかだ。
「待て……わかった。俺が、お前たちの仲間になれば、あいつを逃がしてくれるのか?」
 にんまりと笑う若頭。金の指輪をしたゴツイ手が俺の顎に触れる。
「この期に及んで女とは……なかなか見どころあるな。だが、この落し前はつけなきゃならん。あのたこ焼き男と一緒に焼かれろや。そしたら、考えてやらんこともない」
 声にならないあすかの叫び。それを嘲笑うカス共。屈辱、痛み、あらゆる要素が俺の怒りをかき立て、脳を焼いていく。それを唯一食い止めていたのは、花火を眺めていた時の記憶。俺はよろめく足を酷使し、何とか立ち上がる。そして、自ら鉄板の前へと歩みだした。
「見上げた根性だ。おい、準備しろ」
「ひっ……!」
 たこ焼き屋の親父が情けない悲鳴を上げる。歓声とも野次ともとれる構成員たちのざわめき。あんなクズ共と同格になる。焼けた鉄の板を顔に押しつけられることよりも、そのことが嫌だと思った。
「やれ」
 俺とたこ焼き屋の頭を坊主頭が掴む。終わった。そう思った刹那、目をつむった俺の視界を目蓋ごと焼き尽くすような閃光がカス共の中心で炸裂した。
 何が怒ったのかわからないが、咄嗟に腕を振り、坊主頭の顔面に肘をたたき込む。それにつられた様に次々と広がるクズたちの悲鳴。突如巻き起こった閃光と、それに伴う煙に紛れ、何かが戦っているのが見えた。
「聖!」
 聞こえてきたのは猿ぐつわを噛まされていたはずのあすかの声。混乱に乗じて、あすかの声がした方へ走りだす。足元にあった何かに足がもつれそうになりながらも、一刻も早くあすかの元へと足を進めた。
「あすか! 大丈夫か!」
 霧の向こうにも聞こえるように大声を出し、あすかへと手を伸ばす。手と手が触れあった直後、一陣の風が吹き抜け、乱れた浴衣のあすかと……眼鏡にニヒルな笑みの似合う悪友の姿があった。
「今後のことを期待して尾行していたかいがあったようだね。聖ちゃん、手」
「楽弥……ん?」
 手のひらに感じる柔らかな感触。ちょうど手のひらに収まるくらいのあすかの手……ではなく、胸。恐怖からのものとはまた違う、涙を浮かべてじっと俺のことを見るあすか。
 耳を塞ぐべきだ。そう思うよりも早く、絹を裂いたような悲鳴があすかの口から響き渡った。
*
「痛たたたた……」
 俺は頬をさすりながら、あすかと共に帰路に就く。全身の打撲もそうだが、あすかの平手ははっきりともみじ形になるくらい効いた。完全に事故だと言っても、あすかはそっぽを向いたまま話そうともしてくれない。
 結果だけ言えば、楽弥の投げたスタングレネードとうさ&イルカのおかげで何とかヤのつく人たちは制圧できた。今頃は警察の厄介になってることだろう。たこ焼きを食いそびれたのは痛かったが、警察に聴取されるよりはマシだと思い、諦める。
 しかし、楽弥たちも見ていたなら殴られるよりも早く、助けてくれればよかったのに。助けて貰って文句を言うのもなんだか、楽弥曰く「聖ちゃんの見せ場を横取りするような真似はできない」らしい。
「なぁ、あすか」
「……なに」
 後ろから聞こえてくる不機嫌そうな声。あすかは逃げようとした時に下駄の鼻緒を切ってしまったので、仕方なく俺が背負っている。
「その、さっきはゴメン」
「……」
 あすかが顔を背けたのが、なんとなくわかる。もしかしたら、これを言ったら、もっと機嫌が悪くなるかもしれないと思ったが、黙っていても後で怒りそうなので言ってしまうことにした。
「つけて、ないのか?」
 あすかの体がびくりと震え、さっき一発もらった脇腹に蹴りが入る。激痛にあすかを取り落としそうになるところを、何とか持ちこたえた。
「変態。これは着物の型崩れを防ぐためで……別に他意とかは無い、と思う」
 妙に触感がリアルだと思ったら、やはりか。今は背中にそれを感じてるわけだが。
「い、今、変なこと考えただろ! 降ろせ! 今すぐ!」
 ただ一瞬、空を仰いだだけなのだが、それだけで胸中を読まれたらしい。歩けないからおぶれと言っておいて、これとは。少しは怪我人の俺の気も汲んで欲しいものだ。
「わかったよ」
 俺が腰を下ろし、あすかの降りやすいようにしてやると、あすかは「あっ」と小さな声を上げた。何事かと思い、振り向こうとしたところを無理矢理あすかに押し止められる。
「今度は一体何だ? この体勢、かなり辛いんだが」
「浴衣の帯が……、絶対こっち見るなよ!」
 どうやら大変なことになったようだ。さすがに振り向いたら殺されるのがわかっているので、同じ体勢を維持したまま、背中の痛みを我慢する。
「まだか?」
「うう……ここをこうして、うーん……」
 あすかはしばらく俺の背中でジタバタしていたが、しばらくして動きを止めた。
「無理みたい。というよりも、完全に解けた……。やっぱり、おんぶしてほしい」
「なんだそりゃ……」
「見えちゃうから……お願い」
 そう言って再び俺の首に腕を回すあすか。背中に布越しの体温を感じつつ、結局、俺はかの如月家まで半裸のあすかを背負って帰った。

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