08.sensei

 短く、一方的な戦争があった。
 宣戦布告の代わりに鳴らされた銃声。直線軌道をわずかに逸れ、一匹のアヤカシの脳天を一発の銃弾が砕く。断末魔をあげることもかなわずに、軽い音を立てて土に落ちた鬼の子供。一瞬の静寂が世界を満たし、平和に過ごしていた鬼の集落は地獄に変わった。
 無慈悲に鳴り続ける銃声。手榴弾の咆哮。アサルトライフルが奏でる死の輪舞曲。高速で吐き出される短機関銃の薬莢。硝煙の匂いと生き物の焼ける匂いが辺りに充満し、鬼の集落は異形の死体集積所に、もはや悲鳴を上げることが出来る生物は残されていない。
 地獄のオーケストラを奏でていた指揮者は全身に穴があき、体中の体液を流しながら蹲る鬼の頭を掴み、片手だけで持ち上げる。
「まだ息がある」
 聞こえているのかいないのか、掴みあげられた鬼の身体は断続的に痙攣し、鬼の言葉で命乞いをした。それを聞いた指揮官は無感情な瞳でそれを見降ろし、直後鬼の頭を熟した果実でも握りつぶすかの如く、容易く砕く。
「お前達は我らに殺されるために存在している」
 その言葉が終わるや否や、指揮官の右腕がすっと上がり、鳴り止んでいた銃声がアンコールにでも応えるように再び銃火を散らし始める。既に戦意の欠片も残っていない鬼たちに対する一斉掃射。蟻の子一匹逃がすことが無いように、鉛の豪雨が小さな集落に降り注いだ。

 同じ時期、世界各地でアヤカシ殲滅運動が起こった。ヒトと同じように知性を持ち、各自の文化で生活を営む生物。プライドが高く、独占欲の強いヒトはその存在が我慢ならなかったのだ。
 持つ者を持たない者が妬むという単純な構図。妬みは力に変わり、力は無秩序な殺戮を合法化する。世界各国は己の国にアヤカシが住んでいることを恥と認識し、自らの国が持つ暴力を誇示する機会を逃すまいと、いかに早くアヤカシを根絶やし出来るかを競った。
 いくら殺しても訴えられず、世界からの批判を浴びることも無いアヤカシ狩りは、退屈な日常に飽きた人々を虜にし、その様子は国営の放送で流され、書籍化もされた。空前のアヤカシ狩りブーム。血気盛んな若者は次々とアヤカシ狩りの部隊に入団し、殺戮の快楽を得るためだけに、殺し、奪い、犯した。
 その結果、世界中のアヤカシのほとんどは全滅し、その数は全盛期の百万分の一に落ち込んだ。殺すアヤカシを探すのが困難になり、ブームも下火になりつつあったその時になってようやく一人の生物学者が、勇気を振り絞って国連に提案する。簡単にまとめるとこの一言に要約される。
「アヤカシも生物の一つとして、少数でも残すべきだ」
 アヤカシを擁護したとして、学者に批判が集中した。しかし、それまで恐怖で意見を言えなかった暴力を嫌うヒトたちは学者を擁護した。アヤカシを巡る、終わりのない論争が繰り広げられ、その学者がブラウン管に映らない日は無くなり、最終的に世界各国は国際批判を恐れてアヤカシ狩りを禁止せざるを得なくなった。
 現在、アヤカシはとある国の牢獄に押し込められ、厳格な管理と必要以上の戦力を持って監視されている。アヤカシの保存を提唱した学者はと言えば、「鬼の弔いに行く」とアヤカシ狩りの最初の地に出向いたまま、消息を絶ったまま未だ見つかっていない。

*

 雪子が六歳になる頃にはすっかり口も達者になり、舌足らずで多少聞き取りづらい部分はあるもののどんなアヤカシともコミュニケーションを取れるようになっていた。それも一方的なものではなく、会話。言葉のキャッチボールを雪子は器用にこなしていた。
 複数のアヤカシに囲まれて暮らすという特殊な環境に生まれ育った彼女は人間特有の類稀なる学習能力で、幼少にしてあらゆるアヤカシと会話できるようになっていたのである。
 彼女の成長ぶりに驚いたクロスは試しに鵺と喋ってみるように雪子に言うと、彼女はどこから出したのか、鵺の唸り声そっくりな声を出しにこやかに微笑む。すると、それに対して鵺は尻尾を振り、短く雪子を怖がらせない程度の小さな鳴き声を上げた。
「ぬえもゆきのことすきだって!」
 そう嬉しそうに言って、鵺の頭に小さな手のひらを擦りつける雪子。彼女が何を言ったのかは聞かずとも想像できた。彼女は鵺の言葉で鵺に話しかけ、いつも通り表裏のない愛情表現をしたのだろう。
「雪子はすごいな」
 お世辞でも何でもなくクロスはそう思う。クロスは今のやり取りを全く理解できなかった。クロスだけではない。長老を除く他のアヤカシは鵺の行動や雰囲気でその機嫌を察することは出来ても、会話することは出来ない。そんな離れ業を雪子はわずか齢六つでやってのけているのである。
 この子はとんでもない天才かも知れない。それに気付いたクロスの行動は早かった。彼は休日に長老の住む小屋の扉を叩くと、開口一番こう述べた。
「アヤカシのための学校を作りたい」
 その一言に長老は小さな目を見開き、クロスの顔を見る。長老の反応も当然のものだ。アヤカシの教育は、人間の定めた法律で禁止されている。禁域という特殊な環境において、教育はそれすなわち洗脳に繋がり、引いては人間に謀反を起こす可能性を危険視しての禁則事項である。
「クロス……おぬし、最近おかしいぞ。アヤカシには教育はおろか集会さえ禁止されておることを知らぬわけでは無かろう」
「当然です。しかし、私たちには何も知らない子供たちに歴史を教える義務がある。例え、禁域に生まれ、禁域で死ぬとしても」
 歴史を知らぬアヤカシ。彼らはなぜ自分が禁域に閉じ込められ、人間にこき使われているのかを知らずして、それを当たり前だと感じている。完全なる受け身の生活。それが耐えがたいものだとは知らないアヤカシがいることをクロスは常々疑問に思っていた。アヤカシの教育を実践しようとしなかったのは、そのきっかけが無かったことと人間から攻撃される格好のネタを提供したくなかったからである。
 しかし、雪子の成長を目の当たりにしたクロスにはそれでさえも些細なことだと思い始めていた。このまま死ぬまで何も知らず、雪子が大人になっていくのはあまりにも惜しい。ならば、多少の危険を冒してでも雪子に世界の真実を知らせたい。無論それは他の子供アヤカシにもである。
「クロス、おぬしの気持ちは分かる。だが、わしはそれを許可することが出来ん。他のアヤカシの命を危険に晒すことはな」
 ゆっくりと念を押すように言う長老。その言葉は鉛のように重く、クロスの身体を縛りつける。危険に晒されるのが自分だけであれば、喜んでやろうと思っていた。けれども、人間は例え自分一人の暴走であってもアヤカシ全体の暴走と判断し、結果アヤカシを殲滅するに違いないのだ。みんなが死ぬ。言うまでも無く、雪子も。
 黙りこくるクロスを見た長老は無言で背を向けると、蚊の鳴くような小さな声でぼそっと言った。
「繰り返すわけにはいかんのじゃ」
 言葉よりも長老の背中が歴史の重さを物語っていた。生きながらにして見せつけられたこの世の地獄。同胞の血と肉で埋め尽くされた故郷が脳裏をかすめ、恐怖と怒りから奥歯が鳴りそうになるのを必死でこらえる。
「それでも、僕は……」
 汗を握り、俯くクロス。気が遠くなるほど長い間抱えていた葛藤。自分が生きる意味を何も知らない雪子に押しつけようとしていることをクロスは十分理解したつもりでいた。それは偽善でしかなく、雪子を幸せにすることで自分の自己実現欲を満たそうとしているだけだとしても。
「我が子の幸せを望むことの何が悪い!」
 小屋中に響き渡る怒声。長老に向けて言ったのではない。平穏に生きることだけを考えていた自分を奮い立たせるために激昂した。例え、禁域そのものを危険に晒してでも、世界を敵に回そうとも、クロスは雪子の幸せを願った。
 クロスは怒りと緊張で息を震わせながら、肩で風を切って長老の元を後にしようとする。扉に手をかけたようとした直前、今まで感じたことのないような圧倒的な存在の気配を感じた。続けて脳に直接、情報がなだれ込んでくるような感覚を覚える。それは長老の声で何かを語った。
「おぬしのやりたいようにやるが良い。人間に勘付かれぬよう、気を付けろ」
 極めて高等な話術。言葉を介さず、そのまま意思だけを相手に伝える技術。念波だった。呆れるほど徹底した人間への疑心。長老はクロスのことを初めからわかっていたのだ。
 なんて自分は浅はかなのだろう。結局、自分は長老に許可を取ることで、自らの罪を肩代わりしてもらおうとしていたのだ。自分の責任は自分で取るという当たり前のこと、雪子を教育するのは僕で、その責任は自分が持つ。誰が何を言おうと関係ないではないか。
 クロスは決意を新たにし、振り返ることなくドアノブを握る。扉の隙間からは笑う雪子のような満月が輝いていた。

*

 翌日、クロスは禁域の空き部屋を一つ貸し切り、自前で揃えた小さな黒板と教卓、リサイクルショップで揃えた形も色もバラバラな机を綺麗に並べる。生徒は雪子一人だけ。他のアヤカシにも参加して欲しいと思ったが、リスクを考えて誰にも知らせることなく、学校を始めた。
 最初の授業は決めてある。アヤカシの歴史、なかでもアヤカシを救った名も知らぬ学者についての授業だ。
「それじゃ、今から授業始めるよ」
 教卓の前に立ち、チョークを握ったクロスをイスにちょこんと座った雪子が眺める。何を教えてくれるんだろうとその目は好奇心で輝いている。その時だった。閉じ切られていたはずのドアが突然開き、何者かがなだれ込んでくる。
「誰だッ!」
 クロスは大声で叫び、入ってきた何かを威嚇する。彼は初め、自分が教育の場を作ったことに気付いた人間が入ってきたのかと思い、警戒したのだが、良く見ると入ってきたのは人とは明らかに違う者だった。
 頭に異常に長いボルトが突き刺さった女の子、全身を茶色い毛で覆われた男の子、また背が低い薄幸そうな男の子……それぞれが各々椅子を抱えて教室に飛び込んできたのである。
 あっけにとられるクロスをよそに、ボルトが刺さった少女が、胸を張って言った。
「ブラッドハウンド先生、うちらにも勉強教えろよ!」
 フランケンシュタインの女の子が勝手に椅子を置いて、置かれていた机に足を乗っける。続いて他二人もそれぞれ椅子に腰かけた。何で自分がここで学校を開くことがばれたのだろうと思ったが、相談した相手は一人しかいない。長老がアヤカシ中の子供たちに自分のことを伝えたに違いない。
 突然の来訪者に驚いたクロスではあったが、冷静に机から足を下ろすように注意し、最初の授業は皆の自己紹介と教室のルールにしなければならないなと密かに予定を変更した。

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