04. namae

「戸籍の捏造? 別にやってもいいのじゃが……」
 ゴンはむんと唸り、地面に届きそうなほど長く伸びた髭をさする。偽の戸籍を作ること自体の難しさではなく、他のことで悩んでいるようだ。クロスもそのことがあったからこそ、初めから自分で書類を制作せずに、わざわざこの老人の元へ足を運んだのである。
「馬鹿正直に人間の子供なんて書くわけにはいかないからのぅ」
 戸籍の捏造。帝国の管理のもと行われる人間の戸籍とは違い、アヤカシの戸籍は簡易戸籍とも呼べる簡素なものである。提出する書類も手書きの物で、両親の名前や住所、性別などを記入する欄は存在しない。基本的に必要な文面は三つだけ。出生、種族、名前……それと本人以外が提出する際には保護者二名の名前が必要になる。
「一応、いくつかの案は用意してきたのですが」
 「言ってみ」とゴンはクロスに促し、自分はカゴの中の子供を皺だらけの手でそっと抱きかかえる。はたから見れば危なっかしい手つきに見えるかもしれないが、見た目以上に老人の手は力強くしっかりと赤ん坊のことを支えていた。
「まず、出生なのですが自然発生にしようかと」
「それ以外に無かろうな」
 クロスは小さく頷き、持っていたメモ帳に丸を付ける。書かれていたのはいくつかの出生のパターン。自然発生の他には変化、分裂、怨霊、感染など人間の出生方法とはまるで別次元の事柄が書かれている。一応最後に出産とあったが、この方法が取られることはほとんどないのだった。
「一応、変化と怨霊のパターンも考えたのですが、どう見ても実体のある赤ん坊ですし。偶然、禁域内で自然発生したものを僕らが発見したということで通そうと思います」
「うむ。種族はどうする?」
 今度はクロスが低く唸る。鬼、サキュバス、リリスなど候補が無いわけではないが、そのどれもが疑われると致命的なものばかりだったので、挙げることはためらわれた。自分よりも豊富な知識を持つ老人の手を借りることこそが、この場における最善だとクロス自身も考えている。
 ゴンは抱きかかえた子供の全身をあらゆる角度から見定め、底知れない知識から一番しっくりくるアヤカシの情報を照らし出していく。
「漆黒の瞳をしたおなごじゃの。座敷わらしがよいと思ったが、人間の子じゃあっという間に大人になってしまうから難しいのう」
「ですよね」
 クロスも初め思いついた種族は倭国のアヤカシである座敷わらしだったのだが、生涯子供の姿である彼らの特質は人間には当てはめようにも無理があった。それに座敷わらしは既にこの禁域に一体存在するので、二重登録になってしまうのはよろしくない。
「肌が白く、綺麗な目をしておる。白の和服など似合うじゃろうな。そうじゃ、雪女はどうかの?」
「雪女……とは?」
 聞いたことのない種族名を言われ、すぐさま聞き返すクロス。老人は数百の年を経てなお勉強熱心な吸血鬼にいたく感心したようで、ふぉっふぉと楽しげに笑って見せる。
「倭に伝わる昔話の一つでの。雪女とは人に冷気を当てて殺してしまうアヤカシなんじゃが、話の中でとある男に出会ってな。その男が若く、美しかったために自分のことを誰にも話さないことを条件に見逃してやったのじゃ。その後、雪女はお雪と名を変え、男と再会を果たす。男はそのあまりに美しい容姿と献身的な性格に惹かれ、恋に落ちる」
「なんだか、不思議な話ですね」
 自分のことを話さないようにと釘を刺しておきながら、わざわざ名前を変えてまで見逃した男に会いに行く。理由も目的も何ら説明されずに進んでいく話に違和感を覚えながらも、クロスはゴンの話に耳を傾けていた。
「二人は愛し合い、十人の子供にも恵まれた。しかし、不思議なことに子どもたちは歳を取っていくのに、お雪は出会った頃のままだった。ある夜、不思議に思った男はつい昔の話、雪女と出会ったことを話してしまった」
「死亡フラグが立ちましたね……」
 老人は首を振り、まだまだ若いのとクロスを窘める。その後、抱きかかえていた子をカゴに優しく戻して、寒くないように白い布を被せた。
「この話はお主にはまだ難しかろう。死の概念からは程遠い吸血鬼であれば、なおさらじゃ。話を戻そう。わしはこの子の種族を雪女の子供ということにしたら良いと思う」
「……ゴンさんが言うのであれば、雪女ということにしましょう」
「決まりじゃな」
 クロスはしたり顔のゴンを尻目に、雪女とメモ帳に記す。ついに一番の難関が訪れた。これだけは候補を上げることもできなかった、難関中の難関である。
「名前はいかがいたしましょう?」
「その質問を待っておったぞ。実は、いくつか思いついておる」
 「さすが長老。俺たちにはできないことを平然とやってのける!」と叫び出したい気分だったクロスだが、にこやかな表情で候補を口にした老人を見て、顔面をひきつらせることになる。
「第一印象から決めておった。まん子じゃ!」
「いやいやいや!」
「なんじゃ、いいじゃろ。まん子」
 高速で首を振るクロス。そんな名前を付けられては一生馬鹿にされ、虐められる未来が目に浮かぶだろう。長老は自分の珠玉のアイディアが即座に否定されたことに不服そうだったが、そこは死んでも譲れないところだと思い、流されやすいクロスにしては珍しく全力で拒否した。
「ちん子の方がよかったかの」
「あの、長老。真面目にやってください」
 他にも露骨な下ネタで名前を付けようとした老人だったが、子供の名誉のためにそんな名前を付けてやるわけにはいかないとするクロスの抵抗により、やむなく口をつぐむ。せっかく一生懸命考えてくれた名前と言えども、いくらなんでもそんな名前は断固受け入れられない。
「すごくいいと思うんじゃが、まん子」
「そんな小学生みたいなネーミング、マジで勘弁してください」
 名残惜しそうに言う長老。そのフレーズを連呼されるだけで冷や汗をかくクロス。けれども、このままでは名前は一向に決まらない。今まで頼りにしていた長老のネーミングセンスのなさを考えると、こればっかりは自分で考えるしかないようだとクロス自身諦めかけていた。
「このままじゃ平行線じゃの。こういうときは第三者の意見を仰ぐに限る。ほれ、そこの。いつまでも隠れてないでこっちに来なさい」
 クロスが振り向くと、納屋の入り口付近にすっと影が引っ込むのが見えた。よく見るとなんとか全身は隠れているものの、逆ハート型をした尻尾だけが納屋の壁からはみ出している。
「朔乃?」
 クロスの呼びかけと同時にぴくっと震える黒い尻尾。それは彼女の感情を表すようにゆっくりと引っ込められ、代わりに小さな顔を半分だけ半分だけこちらに覗かせる。
「別に、なんか声が聞こえたから寄ってみただけなんだけど……」
 自信なさげに言い訳する朔乃だったが、その目はこちらのやり取りに興味津々と言った感じで輝いていた。手招きをすると、小さく羽をはばたかせながら低空移動で二人の元へと寄って来る。
「この子の名前、何か良いのないかな。女の意見を聞かせて欲しい」
「うーん……とりあえずだけど、爺さんが考えたのキモ過ぎ。マジで引いた」
 長老は目の前で気持ち悪いもの呼ばわりされ、真っ白い髪を更に真っ白にして打ちひしがれる。しかし、本当のことなのでクロスも否定はしない。気持ち悪いというよりは、単純に変態過ぎるだけなのだが。
「話聞いてたけど、一応雪女ってのにするんでしょ。だったら、わかりやすく雪子にしたらどう?」
「さっきゅん、君は名付けの天才だ」
 朔乃は夫婦漫才のノリですぐさま「さっきゅんって呼ぶな!」と返したが、意外とまんざらでもなさそうだった。長老は自分のつけた名前が採用されないことと明らかに蚊帳の外にされたことに年甲斐もなく拗ねている。
「のう、わし、もう一つ思いついたんじゃが」
「まさかとは思いますが『う』から始まる名前じゃないですよね。だったら結構です」
「吸血鬼は読心術まで使えるのかの……」
 しゅんとする長老だったが、今まで見せた感性があまりにお子様過ぎるので誰にでも予想できると思ったのはクロスだけではないだろう。もはや変態を通り越して、馬鹿の領域に達しつつある。

*

 結局、詳細不明の赤子の名前は雪の子と書いて「雪子」に決まった。読みは「せつこ」ではなく「ゆきこ」。苗字は本来、アヤカシには必要ないのだが、発見者兼保護者としてのクロスの姓を付けることに決めた。
 雪子・ブラッドハウンド。彼女の育ての親になることを決めた吸血鬼。そして、それを取り巻くアヤカシたち。その誰ひとりとして背後に渦巻く波乱の気配に気づくこと無く、矢のような早さで月日は流れる。

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